泉流No.41 地名由来

* マットウと  思えぬ地名の  由来かな
〔駄足〕この数日、本誓寺の法宝物虫干法会を紹介して来たが、この寺に因む地名『松任=マットウ』に係る由来譚を触れずに終れないと想うので。地名由来なるテーマを掲げて、少し想う限りを述べてみたい。
虫干法会に足を運んだ主な理由もまた、展示品の中にあるであろうその現物を眺めることにあったが、結果として展示の中から見出すことは出来なかった。
それは、展示対象として本来どう扱われるべきか?
一門外漢が論ずべき事ではもちろん無い。ただ、この地名由来考が一段落した頃,その扱うべき道筋が自ずと明らかになるに違いない。
まず、過去の時間経過に沿い、松任なる地名との遭遇について振返る。
時は2009年8月。言わばその出逢いは全くの偶然からであった。
週1度図書館に通う習いだが、ある夕刻の帰路<徒歩・片道約6キロのコース取りを毎回模索する、その途上>。道路端から実に大きな石碑が見えた。
所は白山市若宮八幡神社周辺の地域主要道に沿う貴船神社境内地内である。
碑のタイトルは貴船の宮由来記。珍しく仮名交り、読めた。
建てたのは、昭和33年3月、時の県知事とある。
碑の本文後段の記述がタイトル離れしている。その箇所を抜書き掲出する。
  <前略>
  朱雀天皇の承平五年国司松木氏が石同
  四郎丸三丁町の合併を勧奨し庶民一同
  合併方を松木氏に一任し其の実現なり
  新町名を松木氏の松と合併方を任じた
  任の二字を用い松任町と称す
  其の合併母体たりし石同村は即ち石堂
  村で松任発祥の由緒ある地域である
  <文終る>
次に本文記事の抑えだが。
補足する見解の出典は、概ねウィキペディアとし手持年表等をもって適宜対照した。
年表示=AD年は、一応の目安概算でしかない。随時改元制と暦法差<太陽暦/太陰/太陰太陽>を詳論できないことをお含みおきねがいたい。
1、朱雀<すざく>は第61代天皇(923〜952。うち在位930〜946)、先帝醍醐の子、父の死により8歳で東宮から即位した。次帝は同腹弟の村上。退位(24歳)して仁和寺に移り,後に出家。享年30歳。
政治の実権は外戚摂関家にあったであろう。
2、承平<じょうへい>年間は和元号(931〜938)、
よって五年対応の西暦は単純換算935年に当る。
なお、この頃海陸東西に動乱(承平天慶の乱)が多発した。
今日はこれまでとし、明日以降に続きます