生泉流No.6 本誓寺

* 田舎では  春忙しく  秋もまた
    ヒキノ読経に  スズムシ声明
〔駄足〕定住すべき家屋を所有できないミノムシ・ワットの半生だが、この地に来てもう間もなく3年が過ぎようとしている。
この土地が所謂他所者(よそもの)に対して寛容なのか、それともそうでないかは軽々に決めるべきでない。まずは何であれ疑問があれば、とにかく首を突っ込み、相手が拒まない限り進むようにしている。
今日の午後で,4日に亘って続いた松任(=まっとう、石川県白山市の中核都市。平成合併前の市の名)・本誓寺(ほんせいじ)の法宝物虫干法会が終った。
今年始めて,それもちらと覗いた程度なので、うまく把握できてないが、寺に伝わる宝物の虫干しを行い,それに併せて外部から講師を招いて法話を語る催しなのだが、宝物の数の多さとそれを世話する地域住民の結束に多くの示唆を貰った。
今年東の方で大災害があったので地域崩壊の回避と防災組織のあり方が根本的に見直しされようとしている。この法宝物虫干法会は、がさつに即断すればある種の祭りであり、地域結束の好例の一つだと感じた。
厳密に言えば、虫干しの期間寺内に展示したままの宝物を昼夜通して見守る役回りの運営協力者集団は、宗教法人の構成員=檀家さんであって、地域住民のごく一部に過ぎないであろう。
そして、この地もまたご多分に漏れず過疎化・高齢化が進行し過ぎており、中心部のシャッター街化、若者の不参加は目立っている。
それはそれで問題だし、背景・原因なりを絞る必要はないが、対策はありそうだ。
若者の気付きと立上がりを気長に俟つこと、それが急がば回れ式の王道策であるように思える。
古くから祭りが盛んな土地柄は、なんとなく犯罪が少ないように思って来た。ワットなりの理解では、祭りは地域の力の結集の機会であり、異なる年齢層が一堂に会するチャンスだ。
祭りの類い、そのような催しを盛り上げて地域崩壊を阻み、防犯・防災に寄与させると考えたい。
戦後急速に衰えたものの一つに地域の結束がある。その原因は何であろうか?
歴史的な存在=自治団体である町内会の衰退は、あの時期戦争遂行支援団体になり下がり、上位権力暴力軍制の単なる下部受命組織に組込まれてしまった。本当に”しまった”であった。
本来の自治機能を喪失し、構成員の賛同を失ったまま今日に至った。復興の機会を失したままだ?
その点、この地は、長く続く本来的農業地帯であり、悲惨な空襲被害も無かった。
その前に,日本史上も稀な一向一揆のゼロ・ポイントであった。
応仁の乱からこっち。長い期間に亘って,サムライ大名の不在を意味する=「百姓の持ちたる国」すなわち自治制を保った土地柄だ。
互いの顔が見える関係、舌の動きが耳に届く距離が長く維持され・・民の結束・すぐれた伝統が息づく土地であるに違いない。
最後に五・七・五の意味だが、今日の法話の中に示唆を得たもの。
春の夜,秋の夜、枕元に届く蛙の合唱、虫の鳴き声は、アメリカンにとってはただの雑音だが、浄土真宗信者の多いこの地では、集団読経や声明<しょうみょう=仏僧が法会で唱える声楽一切。広辞苑より>として聞く人がいるらしい。
〔駄足の蛇足〕第4句目「ヒキノ読経に」としたのは,実は意味がある。法話の聞き違いがあったかも、、
「ヒキノ=蛙の」と聞いたが。我が田舎ではビッキと呼びかけるが,蛙が返事した例を未だ聞かない。
或は、「比丘」または「比丘尼」の聞き違いであったかもしれない