サイト君 第77話

ITイノヴェイション論4日目である。昨日に続き、de facto Standardについての後半をサイト君が語る。
ウィキペディアを引用すると「事実上の標準」とある。de factoがラテン語・Standardが英語ともある。
さて、「事実上」の意味だが行政手続き=公権力との接点が無いこととウィキは述べる、結構理解に苦しむ。「標準」の意味も似たようなもの、広辞苑に標準化の見出しあり、引用する。工業製品の品質・形状・寸法を標準に従って統一し互換性を高める事とある。
ウーンとうなって,サイト君に解説を促すとしよう。
キーワードは、特許・ソフトウエアとITシステム・市場サバイバルの3つに絞り込もうと呟いている。
既に彼は昨日までに彼の見解を述べている。再掲すると「事実上の標準」がユーザー=消費者を軽視・徹底無視しているとするものだが、果たして説得力ある解説となるか?以下にその要約を紹介する。
特許は、公権力による特別の許認可・保護の匂い=越後屋と悪代官の夜の密会場面が字面に見える。「事実上」では、特許申請・認可の過程が全く無い。製品なりシステムなりが市場で生き残る=サバイバルを果すことで、物類似の「標準」となる。
市場抗争が続く間、互換性無い機器が多数乱立、かつてのベータvsVHSヴィデオレコーダー戦争がそれ。
その後もde facto Standard市場抗争は、ワープロやパソコンなどOSの壁としてより深刻辛辣になった。パソコンの出現とインターネット利用開始までの間に大きな時間ロスがあった。通信方式の標準化のための手続きが面倒であったことの反映である。
ITシステム特有のソフトウエアの差異が作り出す「利用の壁」は、システムメーカーの都合でしかない。ビルゲイツが巨万の富を短期間で築き上げる魔法の杖になっただけ、同じ事がユーザー・ストレスを招く。
しかもソフトウエアの互換性に殊更背を向ける、この反社会的IT業界の事業作法は、産業社会には無いものであり、戦国時代同様の一方的ゴリ押しだ。ITシステムメーカーが求めるヴァージョンアップ・リクエストとその都度求められる片務的契約への同意に係る一方的強制は、毎回毎回ユーザーに対し新たなストレスをもたらす。IT揺籃期に生きる我々は、この屈辱をいつまで黙って耐え忍ばなければならないのだろうか?
世界のユーザーは、リーナス・トーヴァルスを旗印に掲げ立上がろう。理不尽かつ不平等な押付慣行からの脱却・打破をITメーカーに訴え、ソフトウエアの開示と互換の義務を認めさせ、双務かつ対等の慣行を植付けさせよう。そしてITメーカーの反社会性を懲らしめ、市民ユーザーこそが主人であるとしたジャンヌダルクの栄光を取戻そう。
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