泉流No.38 奈良博

* 降込まれ  ならはくダルマ  あのう積み
〔駄足〕近鉄奈良の駅から歩き出したが、3連休の最終日にもかかわらず、奈良公園で見かけるものは鹿だけであった。
彼等は上等本皮仕立てだからか?小雨の中に傘無しでも狼狽える事なく泰然悠々と、佇んでいた。
この日は台風接近中のこともあり、結果としてならはくの中で終日過ごしたのであった。
前回来館からだいぶ経つようで、18時閉館の延長展示の日であった。平常展示も貪欲に覗き見て台風を上手にやり過ごしてやる作戦であったが、特別展・特別陳列の2つに時間を取られ見そびれてしまった。
さはさりながら京都から来て還る交通費も含めて一切合切の費用は、樋口一葉1枚でおツリが来た。
一日を悩まずに、足腰の疲労を度外視すれば、快適に過ごせたのだから好日と言うべきであった。
我ながら望みの低い暮らしとは言え,結構省エネ・節約・健全なプランとささやかながら自讃?した。
さて、句の意味。
特別展会場の東山側ブロックから地下に降りて平常展示会場西野側ブロックに向う通路の途中。そこにミュージアム・ショップと食堂があるのだが、そこでやや遅い食事を摂った。ほぼ立ちっぱなしの腰・足を休めるべく、ゆっくり時間をかけて食事した。
地下の食堂とは,考えるだに陰気なものではある。加えて、朝からダラダラ雨が降り続いている。こんな日は外歩きには向かないのだが、テーブルに着いて眼を上げる遠見の先は大振りの石垣が拵えてあった。
主役はもちろんスロープなのだが、景色は石垣こそが賞賛に価する。長く緩やかな傾斜路それは車椅子斜路の側面が実に風格のある石組みで造られている。外部から地下コーナーに直接アクセス出来るよう、展示会場から離れた位置に独立通路を設けたようだ。トラディショナルな石積みの新しいそれを見かける事は最近ほとんど無いが、アノウ積みに違いないと思った。
さて、素人が石積みを見て、積み方の種類を断じることが出来るわけではない、ただ、見事な出来映えだから、穴太衆<あのうしゅう>が積んだのであろうと思っただけである。その旨を奈良博物館の施設セクションに確認したわけではないので足からず・・・・
因みに、穴太衆<あのうしゅう>は石工集団の名である。滋賀県大津市坂本にある地名、そこから出た石積み職人が最も良い仕事をすることで有名である。最も名高いのは、織田信長が築いた安土城の石垣であると記憶する。
〔駄足の蛇足〕ならはくでは、この16日から「特別展 天竺へ・・・・三蔵法師3万キロの旅」をやっていた。国宝「玄奘三蔵絵」(藤田美術館所有)が、全巻公開されるのは、本邦初であると唱っている。
国宝絵巻<全12巻構成>だけでなく、玄奘三蔵がインドから中国へ持帰った「大般若経の本邦制作写本の全部」も同時公開されているのだと言う。因みに、大般若経全600巻を漢語翻訳したのも玄奘三蔵をヘッドにした彼のスクールだと言うから驚ろく。心身両道に優れる孫悟空を凌ぐスーパースター的超人ぶりだ。
さて、何故、本邦初の同時一括展示をこの時に行うのであろうか?いささか、腑に落ちるようで堕ちない。
昨年は奈良京遷都1300年の節目に当るのだから、昨年こそより好機だったのではないだろうか?
因みに、ワットは人混みを避ける方だから、去年中に京都までは来たが奈良に踏込む事は辞めた。
今年、奈良に行ったのは、浄土真宗宗祖親鸞750年遠忌に関し記念して開かれた金沢・京都の複数の博物館展示場でこの「天竺展」を知り、京都へ来たついでに足を伸ばしたのだ。
そうだ、ついで狙いの相乗り企画だから、今年開催にしたのであろう。同じフロアで與喜<よき=地名、初瀬長谷寺相殿神天満神社秘宝の特別陳列が同時スタートしているが、これもまた不思議なタイミングの開催である。あえて勘ぐっても、国宝大般若経の旧蔵者との関係くらいしか思いつかない。オール奈良所在寺院による相乗り企画として、珍しいものを一堂に揃えた観がある。
さて、そろそろ筆を置くが、21世紀100年の10%に当る10年間が過ぎ、仏教界はいよいよ失地回復ルネサンス期に入るべく動き出しているのだろうか?
釈迦に始まり、玄奘三蔵長安まで運んだ大乗観相は、廻廊韓半島の王族が列島へ紹介し、列島は入唐僧を渡海させ積極受容に努めた。何事も仕方ないと割切る国民性を形成した根底には、このアジアが生み出した世界宗教のエッセンスが色濃く反映しているように思える。しかも、その一見冴えない割切り方こそが、21世紀の人類が抱える諸問題を解決に導く最有意義な処方箋であるような気がする。