生泉流No.5 入道雲

* 空青く  かがかがと照り  さわさわと
緑の笹原  やがてごろごろ
〔駄足〕梅雨の季節が終り、体力勝負の真夏となった。炎天の空の下を徒歩で往復約2時間歩いた。所謂加賀平野の田園センターを選んで目的地まで行き、帰りはなるべく日陰と近道を考えつつ別の道を還って来た。
今の時代歩いてる人は,皆無と言っていい。若者を一人だけ見かけたが、すれ違ったのでもないから、遠目の雰囲気での感想だが、この辺の住人とは思えなかった。自転車は、ほんの少しだけだが使われていそうだ。学校の下校時間帯でもない正午前後だったから、孤独の散歩での収穫はひたすら天地大観と擬態語の羅列となった。
加賀とは、旧国名であり現在は気象予報の地域呼称だから、耳慣れた言葉だ。一天曇り無く太陽がそこに隠れることなく居続ける状態が、かがかがの指し示すものだが、これは果たしてオノマトペに当るかどうかは自信が無い。
麦わら帽とサングラスとペットボトルの3点セットが、かがかが対策必携だが、向こうからやって来た車椅子の夫婦が、すれ違いざまに転覆しそうになるほど慌てていた。広い歩道敷を忘れ、うろたえる程の怪しげな風体の危険人物に見えたようだ。可哀想なことをしたと気が病む。それとも、この辺は空襲すら無かった平和安全地帯?だから、厚木に降り立ったマッカーサーと見間違えたのかな?と一瞬だけ思った。
あの時代に、内灘夫人連の結束力で、駐留軍の常駐拒否を勝取ったことが、金沢なる都市アイデンティティー形成に最大の貢献をしたと言えよう。
ただ、この2〜3年は、市内を流れる川が決壊して流域住宅が水没するとか、鮎の大量異常死が起りしかも原因究明が暗礁に乗り上げるなど、並の観光地と大して異ならない程のトラブルが続発しており、小京都呼ばわりされる程度のレベルになっているのかもしれない。
さて、歩くことは造作もないが、炎天下となると貧乏人の代表みたいなものだから、並の人が自動車に乗る現代では、歩行者などに市民権は認められそうもない。ロードサイドは、はるか遠くまで緑なす笹の原=水稲栽培・純粋田園地帯である。ディープ・サウスを思わせる、一人遠くを目指す黒人、貧しさの象徴とぼとぼ素足だ。放浪者さながらに吊されるか、さもなくば、イワシの一夜干しさながらに干上がってしまう。そんな想いが突き上げて来て気のせいか、何となく薄ら寒い。
冷や汗ではなかった。遠く海の方から、時折風が吹いて来るのだ。汗をかいている者だけが味わえる,かすかな涼風だ。かすかにさわさわと音も聞えるし、ほんの僅かだが、稲の葉が揺れている。
こう言う場面で、思い出すのは、有馬稲子とか霧立のぼるなど、涼やかなる大和撫子だ。ははぁ、いかにも百人一把?風の展開となるところが、国民性の反映かな?かっかっか・・・
帰路もゴールイン寸前となると,息も絶え絶えに無人の我家に雪崩れ込む感じだ。炎天下の10キロ歩行なんぞ、まるで囚人の強制労役みたいなものだろう。
空を見上げる余裕なんぞ、とうに忘れている。おそらくあのごろごろ・ゴロゴロ遠雷の響きは、空一杯に入道雲の柱が所狭しと立ち並んでいるに違いない。
この時期、晴も雨もセットで来る。傘の用意までする気はないし、スコールまがいに逃げ走る、そんな気力も持ちあわせは無いのだから・・・・