泉流No.36 夏きぬ

* スイカ食う  梅雨の終りを  舌で知る
〔駄足〕これほど説明の要らないものは無い。
従って,以下はまさしくタイトルどおり駄足である。
1、現代に生きる者は惨めである。
2、ひとは皆顔も形も異なるから、頭の中も百人百様であるに違いない。
3、現代ではモノの移動や眼・耳だけの感覚器への飛込みが、かくも安易に実現するようになった。
駄足と言えども、焦点は絞るに越した事は無いから、3つほど掲げる。
言わんとすることが判れば,以下は読む事は無い。
そこで、結語は短く? こうだ。
A、好物のスイカをスーパーでほぼ年中見かける。温室と長距離トラックがもたらす究極の偽物だ。エネルギーの浪費がもたらす拙い食い物、季節感台無しだ。
と言うと恰好がつくが、真相は値段札を見て手を引っ込めるだけ。食わないのだから、美味い・拙いを語る資格は無い。
見ながら食えない,これ惨め。食っても拙い、梅雨空にスイカ食い、これまた惨め。
B、昨日の朝、畠に這いつくばって草取をした。梅雨明け、夏の到来を感じた。妻にのみ言う。
追掛けて、昼のニュースがこの地域のそれを報じた。
近畿・東海が前日だったから半日遅れとあいなる。
梅雨がどうした実はどうでも良いこと。現代のタコツボ集落で心安く生きるため、言葉を慎むクセはある。
個人の感想をあっけらかんと口にするのは、憚るべしと・・・・然るべき権威が発表した後に、おんぼらと口外する。それが文化人たる素養か?
その点ワットは,新聞も取らず、TVも時々だから、全く仙人ならぬ遠洋航路の船員だ。
然るべき権威とは、気象観測庁のこと。税金を使う組織である、それが後進レベル=国民国における判断基準らしい。軍制遺制とは一律一辺倒を是とする団体至上の思想をもって百人百様の感想述懐を阻む前世の残滓だ。何とも不自由、息が詰まる。市民社会前夜の息苦しさか、これまた、またも現代に生きる惨めさだ。
C、梅雨は終るもの、開けるのではない。
イカは夏の暑さでしこたま汗をかいた者の舌だけが、味わい分ける皮膚感覚だ。
現代の最先端メディアは,音と映像は詳細に届けるが、鼻と舌と皮膚には何ものも届けない。
それは偏頗だ、歪みをもたらしている。
〔駄足の蛇足〕
自給自足を理想に掲げつつ、とうに懸け離れた日常を生きる者の一人として、3日に1度はガーデニング・ファーマーとして泥まみれになるよう心がけている。
これほど、生きることを実感させるタスクは無い。それはこれまでの半生が、ほとんど植木等の唱うコミックソングに重なる面が多々あると思うことに繋がる。
いささかオーバーだが、一人で大地に立つと太陽の恐ろしさと自らの無力さとを実感するし、季節の移り変わりが皮膚感覚であることを発見する。半生=サラリーマン時代、太陽は最後に思い出す存在であったし、曜日の確認は新聞頼りのロボット状態であった。
炎天下での雑草の除去にこそ、ロボットを導入してもらいたい。と、考える。
そもそも農業なんぞは、すべからく地球が持つ生命循環システムへの順応でしかない。そのシステム寄生こそが摂理である。そのことをひとは往々にして忘れがちだ。それで周囲は耕耘機を貸したがりワットは借りない。
システム寄生摂理に反すると思うから。
耕耘機は不要でも、除草ロボットには縋りたいと痛切に思う。あえてその理由を述べるとしたら、こうだ。
耕耘機は既にあるが除草ロボットはまだ存在しない。農作業を支援する機器としてどちらも有用有益だが、一方はあって他方がないのは何故だろうか?
その背景は色々考えられる、ここにワット流の独断かつ偏見をもって3つのみ掲げる。
一、耕耘機は単細胞思想に立つ機械。畠を耕す単機能において優れる。よって、近い将来農業が不耕起栽培法や一年草依存から多年草栽培種主体の農業に移行した時に無用の存在と化す懸念がある。
それに対して、除草ロボットの方は、インテリジェント機能が備わらないと役に立たない。インテリジェントとは、識別・判断能力だが。栽培種がどんな顔・形であるか?つまりその全生を通じて成長の姿を熟知しこれを残しつつ,雑草を摘取る仕事を果すとすれば、これは相当に高度なタスクとなる。しかも栽培種は1種類とは限らない。現にワットの畠では、僅か1メートル四方の中にカボチャ・スイカ・枝豆・オクラ・ジャガイモが、無計画のもと、植付け時期もデタラメに混栽されている。
二、ここで述べた仮想除草ロボットは、IT社会到来の近未来に実現が望まれるメカトロニクスの一つだ。
願望はたやすいが実現性は暗い。開発コストと普及のリスクの2つが、ニュウ・プロジェクトが事業として実現するか否かを決める最大の要素だから。それだけ未知の分野への新たな挑戦は、ハードルが高いのだ。
現代の私的所有制に立つ経済システムでは、金儲けがたやすいかどうかでチャレンジが始まる。必要なもの・有益なものが開発されるとは限らない。
そしてコロンブスの卵・提灯行列なる不思議現象がみられるだろう。誰かが幼稚なレベルの原型機を発表して世の注目を浴びるとしよう、すると我も我もとマネシタ電気が陸続と出現、第1期ブーム到来とあいなる。現代・経済社会とはそんなものであるらしい。
三、最後の駄足の蛇足、
世に除草剤なるものがある。ワットは一度も使ったことがないし、これからも終身拒否し続けるであろう。
レイチェル・カーソンの邦訳版は、概ね読破したつもりだが、眼感覚情報からワットは、除草剤なるネーミングが最も犯罪性が高いと想い込んでいる。
この命名の卑劣さ・悪辣さは、原子力の平和利用とほぼ同レベルにある。
除草剤の化学的性質は、本質においてヴェトナム戦争で使われた枯葉剤散布であって、地球上の自然とあらゆる生命体とに半永久的ダメージを与える。
まるで核爆弾・暴走する原子力発電所と同格だ。