泉流No.34 ススキ

* これまでも  行く先々も  ススキ原
〔駄足〕今日心に浮かんだ風景を、そのまま句として詠んだ。きっと季節に合わないだろうが、泉流は俳句ではないから、季語云々は囚われない。
故郷<くに>から、クラス会を催す案内状が届いた。例年今頃の開催は、いかにも東北らしいと言えば、確かにそうだが、これも東北人だけが判る暗黙の会意のようなものかもしれない。要領よく説明できる自信はないが、素通りせず書いておこう。
地元に残る人が少ないから、帰省するタイミングに近接した8月の旧盆を含む週の週末にクラス会を毎年セットしているのである。
よくよく深く配慮した智慧と工夫と言えるが、その根底にある地方の哀しみ、過疎地の困難を感ずるので、暗澹たるものがある。人口減少が定着してから既にして四半世紀が経過した地域だ。
今年は3月に地震津波が東北の東側を襲い、ついで東も西も隔てなく例年にない規模の大きさと頻度で余震が続く。いつ果てるとも決めがたい不安の中に、ゲリラのように大型豪雨も追い撃ちをかけて来た。太陽黒点活動の低減状態が異常に長引いていることもあって、この秋は今からどことなく胸騒ぎがある。
クラス会の通知が呼び起こした心象風景だが、災害でもないと日頃は忘れられている地域なのだ。経済と金儲けには縁が無い土地だから、筆者の場合は故郷を離れざるを得なかった。そして今も引続き蓄えが乏しいから故郷に帰れないのだ。彼の地には、経済と金儲けのことを人間のごく小さい事と考える、至極全うな生き方をして来たクラスメートが営々と暮らしている。
金沢生まれの文豪であったか?「古里は遠くにありて想うもの・・・・」