泉流No.28&29 建て橋

* 3、5、8  景気ついでに  0を付け
〔駄足〕どうでも良いことだが、オバマ再選は成るのだろうか?選抜過程での演説論調で大いに期待させられたが、今思うとさしてリベラルな方向に舵を切った感じもない。ブッシュ・Jr.が酷かった分煌めいて見えただけだのことかもしれない。
小浜の先に天の橋立がある。それは至極当然なのだが、舞鶴を過ぎるまで意識の外であった。由良・大江山などの地名がチラホラ出てきた先に、高名な三景の一はあった。丹後半島の付け根にある希少光景だが、地形としてもう千年以上?も固定すると,地峡の幅も根の張り方も十分に自然景観として定着し、堂々たるものを感じさせた。
ワット流の天の橋立とは、海中の建て橋千年バージョンだ。
さて、句の意。
丹後半島側にある元伊勢神社から歩き出しまた振出地に戻ったのだが、列島本土側は海砂と松の木から成る海ノ中道が途絶え、築橋が現れ,更にその先に鉄製の回旋橋があった。阿蘇海から宮津湾に抜け出る船の通過と鉢合わせしたので、全行程7キロ強の散歩は折返し付近で、暫しの足踏みとなった。
その折耳に届いたのは、旅行者の問いに対する動作橋管理人の答であった。30回目くらいです、、、、、
間もなく本土に取りついた、突き当たりがダンゴ屋であった。こしあんときな粉とでは,きな粉の方が勝っていた。先客の質問に答える伝統?もんぺ姿の売り子の返事が面白かった。
橋が回旋するのは朝晩くらいのものですね。日によりけりですが、、、、
ダンゴを摘みながら振向いた。橋が赤く見えた。橋の袖ヨコが見えているときは,人は渡れないのだ。
たかが橋を廻す数だ、どちらに軍配と決めるほどのことも無い。ただ乖離幅が大き過ぎるから今日はダンゴ側に華をもたせることにしておこう。
〔蛇足〕その昔、元伊勢神社の境内に立ちたいと思い立ち、本土側から自然湾海形に沿って迂回することを嫌う者がいた。当時浅瀬があったかどうかは解らないが、浅い海底を貪欲に捜して直線的に突っ切って参詣路を切開いた者がいたのであろう。
* 名はアッソウ  湾のさら奥に  海がある
日本海の湾奥の海の中橋、潮の満ち引きが小さいだけに、一度常態化し小松などを便乗?移植するようになり固定地峡が形成されたか?
この区切られた宮津湾の奥まった海域は阿蘇海と呼ばれる。
更に句の意。
ワット流の常識では、洋は大陸より大きい海、海は大陸より小さい海、湾は半島や離島などに囲まれた海洋の一部海域。よって湾が最も小さいはず、、、
なんと、ここには湾より小さい「海」があった。
山陰の対岸は廻廊半島だ。地球時間2千年前頃列島は、その半島のすぐ眼の前にあったらしい。一部は接続して半島、否、大陸の一画であったに違いない。
ヒョッコリひょうたん島さながらに、ゆらゆら揺れながら現在の位置まで流れ着いたのだが、当時島の上に人類の祖先は乗っかっていなかったようだ。列島人のルーツは、大雑把な掴みでこの1万年の間に,舟に乗って移住してきたものであろう、廻廊半島の住人が直接の祖先に当るはずだ。
岩見、出雲、因幡丹波の地は,最も上陸しやすい対岸に当る。この地には「国引き神話」なるスケールの陸地接続譚がある。
海ノ中道を引き寄せるがごとくにアメの建て橋が出来上がる素地があったように思える。