サイト君 第61話

サイト君が語るリーダー論の2日目、まず昨日の要約を再掲する。
隣国メゲーヌが被った人類史上2度の核汚染、その時のリーダーではなく、権力機関としての性格を指摘していた。演技者でしかないリーダーの資質を論ずる意味は乏しい、メディアの報道しない権力機構の欠陥構造をズバリ指摘すればよいと思っているようだ。
2度の核汚染の間は66年あり、決定的な統治条件の改変があったように思わされている。無条件降伏による戦争敗北とタテマエ連合軍実態ボウ国正規軍の駐留。ボウからの押付け新憲法をもって一見民主社会に切変わったと思わせる情報発信だ。だがメゲーヌのガバナンスは明治改変を機に構築されたまま一貫して続いている。と彼は指摘した。
さて、今日はその続き。
パラシュート降下の新憲法は主要な権力機関の呼称を変えてない、対外国向け用語もまた変えてない。つまり明治から平成まで一気通貫何も変わってない。と彼は言う。例外は枝葉の貴族院参議院と呼び名を変えたくらいだ。
肝腎要の首相は、最初の核汚染のときアラヒトガミのすぐ前に立つ第1の臣民。2度目の核汚染=現代ではセレモニーの都度アラヒトガミの息子に向って最敬礼。どちらの首相も国民に常に尻を向けて演技する。
○○内閣などとメディア報道は、敗戦の前後を通じて真の権力の所在を隠し続ける。それが事実の直視を避ける国民性を形成する。隠される事実それはカミによるカミのためのカミの統治だ。と彼は極論する。
四海なる自然国境に囲まれた列島では生きている古代か中世が、外見の装いを少しだけ変えて今日まで続いている。とサイト君は言い放った。
明日に続きます