サイト君 第50話

今日はサイト君の説く簡略貨幣論の中間稿である。貨幣を実物貨幣と無実体貨幣の2つに大分類している。
まず実物貨幣だが、その出現は人類の出現とほぼ同時であろう。早い頃、稀少・麗美な貝が貨幣であったことは漢文字の残滓から伺える。江戸幕藩体制の中期以降はコメが事実上おカネの役割を果しており、コメなる実体を伴う実物貨幣と認定すべきである。
幕末には藩札が各藩領内で使われたが、これは無実体貨幣に属しメゲーヌ国で現在流通する印刷物紙幣であるBOJ銀行券と同類である。当時の正貨である実物貨幣=コバンとの兌換性を欠いていたからだ。
次に無実体貨幣だが、これは印刷表示された金額をもって流通させる通貨、則ち記号文化と法規範体制に基礎を置く銀行券がこれに当る。この非兌換銀行券の出現はたかだかこの50年くらいの短さである。
株券・国債社債約束手形などの有価証券類は、通貨ではないが印刷金額をもって流通する権利証券であり、信用と言う特有かつ特種の課題が付随する。
金額表示のある無実体貨幣と金額表示の無い実物貨幣との違いは外観から一目瞭然だが、コバンのように金額表示があるケースでも物そのものの価値が不離不即について廻る。いざ非常事態となっても地金つまり材料にして換金する実体価値が伴うので、実物貨幣経済には常識的に金融資本主義固有の課題=信用経済トラブルはない。勿論「実体・名目」経済など、頭字修飾語を冠する廻りくどい経済専門用語もまた不要だ。
経済学の父と言われるA.スミスは、異常に膨張した信用経済と償還困難な発行残高に達した非兌換紙幣から成る現状世界経済を見たら、どう言うであろうか?
サイト君は言う。「解らない事は無いが、全く無意味だね」と宣言するに違いない、何故なら彼の生きた時代は正貨による全うな経済の時代だからと続けた。
簡略貨幣論は明日終結します