サイト君 第51話

貨幣論のサイト流簡略編の最終稿(3日目)。印刷記号を以て権利を表示する有価証券類と無実体貨幣には、信用なる資本主義経済の宿痾とも言うべき特種の課題が随伴的に発生する。と前稿で述べた。
では信用創造したくとも厳しい物質的制約・物理的限界が伴う実物貨幣は完全無欠の決済手段か?答はノウだ。インフレやバブル破綻が現にあった。それ等は実物貨幣の課題と言うより、人間の側=物資隠匿や投機に便乗してボロ儲けを謀る輩のあさましさにある。
もちろん、避けることのできない実物貨幣固有の壁もある、その困りごとをコメの例で述べる。気象に左右される年産穀物だから年作の自然増減なる意図せぬ変動がある。凶作の年は決定的にコメが高騰し決済手段不足を招く、そして全ての流通が成立難に陥ると言う大きな不合理を招く。因みに幕藩体制崩壊の一因は、コメ切手=信用への過度依存があったとも言う。
ここでおカネにまつわる脱線を一つ。映画のシーンが浮んだ、ジョン・ウエインのデビュー西部劇『駅馬車』だ。銀行の頭取が兌換銀行券の見合いである保蔵正貨を密かに持出し夜闇の町外れで駅馬車に飛び乗る。
兌換銀行券は実物貨幣に準ずる存在とし無実体グループに含めないが、それは兌換銀行券を発行・増発する際に、同規模の正貨を保有し正貨交換の申し出に常時応ずるルールが守られること=銀行員の誠実さに立脚する。しかし現実の世では権利証券固有の課題=偽造や犯罪に伴う権利の無実体化は避けられない。
印刷紙幣は価値=実物性を備えないので、本来貨幣と呼ぶに価しないとする見解もあるほどだ。
以上をもって、3日に及んだ貨幣論は終り、明日は本論である「資本化しない貨幣」について紹介します