泉流No.26 京都疏水

* 開化の京  疏水つくって  蘇生せり
〔駄足〕昨日・一昨日は、梅雨前の晴間であった。何故か山科駅付近から岡崎公園まで概ね疏水沿いに歩いてしまった。
何故かとは、期せずして結果としてそうなっていたくらいの気持である。
ミノムシ暮らしが今の住所に転入してはや2年半近い。全くの根なし草もどうかと思い直し、足元の郷土研究会に参加した。地名と地域地理に早くなじむための手がかりとすることが入会の狙いである。
その会の研修旅行貸切バスを帰路途中下車したのだが、そのたまたま降ろされた所が疏水の近くであって、クロスした位置から急に思い立って西の方に歩いたのだった。そう、その程度のささやかな当人の心のうちなので、何ほどの”何故か”でもない。
明治になって、疏水建設をお雇い外国人の力を借りずに邦人最初の事業として成功に導いた事が、京都に最初の都市内交通システムと繊維産業などの近代工業を興す契機になったと説明ボードにその概略が書かれていた。
この国における大きな物語の始まり、官業に拠る興業殖産・文明開化の一例だ。必ず教科書に載り、誰でも知っている富岡製糸の京バージョンであって、京都の方が約20年程度遅れるが、上水道・発電・輸送ルートの新規建設など都市計画を含む点においてスケールと投資効果は格段の差を見たように思える。
〔駄足の蛇足〕
郷土研究の研修訪問先が京都と言うのは、いささか込み入った説明が必要かもしれないが、知識不十分な浅学としてはうまく説得できる自信は無い。ただ、避けてはならない要素と思い、おぼつかない言い訳を掲げる事とした。
加賀と京都、現代的に言い直せば、金沢と京都の間は、高速道路利用で片道約3時間強の距離である。
我流の理解だが、この2つの地域の関係はかなり早い時期から現代まで一貫して深い関係にある。
もっと突っ込んだ言い方をすると、深い縁に繋がる共同利害地域であり、たとえ話流儀にすれば、双子の姉妹か・年子の姉妹と言うような関係と言うのが、最もふさわしい近さだと思う。
白山神社所領争いで武力を発揮して存在を認められ。それが契機となって、武士から最初の殿上人になった平家は、平家物語が鎮魂のための文学として書かれたように木曾義仲の軍勢によって北陸方面で負かされたことから没落を始める。
突然に話題が転換したようだが、実はちゃんと双子の姉妹説を展開する布石なのである。治承・寿永年間の騒乱は陸上戦において源平の戦いであったが、背景にある水上交易の利権争いに眼を転じたい。
伊勢から瀬戸内海を支配して対中国貿易を独占する平家。
これに対する海族対抗勢力は、琵琶湖・日本海をテリトリーとする親・朝鮮半島水軍である。
加賀金沢は、日本海側に位置する当時も今も最有力の穀倉地帯であって、当然に親・朝鮮側の立地である。
親・朝鮮半島王朝もある。神功皇后伝説に始まり、実在した継体政権や平安京遷都を強行実現した桓武政権などである。
明らかに親・中国派の平家となじまないグループだ。
要するに日本海水運は、朝鮮半島と一衣帯水であるとする筆者の見解が理解されれば、双子の姉妹説もまた妥当することになる。
もって一巻の詠み終わりであります