生泉流No.4 ビールで乾杯

* とりあえず ビールで乾杯 無礼講
   そりゃもう古い だちイカンぜよ
〔駄足〕 流行変化が早いことは、国民的特徴の一つだが、おそらく地域によりそして当然に世代による隔差が厳然とあるであろうと想像する。
とりあえずビールで乾杯は、アフター・ファイヴと言っても、仕事の延長であることは疑いなく、職場とは別席だが、顔ぶれ変わらぬメンバーで行う飲み会、その開式儀礼の一情景を指す。
この儀式はこの国を離れると見ることが無い。それくらい世界的に珍しい光景だが、「ビールで」を知らない化石年代から、これに異を唱える宇宙最果て異星人集団までそれぞれ、今もって一列行進的会社行事ではない。
少しバイパスだが時間軸を遡ろう。乾杯なるセレモニーすら外来作法なのであって、おそらく明治政変からこっち全国的制覇?を遂げたローカル・ルールに違いない。
「とりあえずビールで」の方はもっと新しい。早くて昭和50年代、経済バブルの60年頃までの間に、ほぼ全国制覇しているようだ。
「ビールで」の方はもう一つバイパス道草したい。
クリスマス年間行事が列島固有のものでないのと同様、某ビールメーカーが販売促進のために画策した作戦だとする説がもっぱらだ。見事にヒットし、一時期ビール業界は隆盛を見た。
だが、やがてその国民的?儀式も、今や大昔の無礼講と同じく死語になりつつあると言う。
ここで広辞苑を持合わせない人のために無礼講について少し触れておこう。貴賎・上下の差別なく催す酒宴とあるー慇懃講、破礼講とも言うらしい。
要するに礼儀をとやかく咎めたてることなく仲良くやろうよ、の趣旨だが、、、。そうだ、相当に古い。
古いほうに摺り合せるのが秩序尊重の精神らしいが、若者にとって全員一律雁首揃えてビールを飲み干せ、と言われること自体が苦痛極まりないらしく、時間外手当が出るならまだしもと苛立っている。
だが、乾杯の音頭を採る側の化石人類どもは、その辺の心情に想いが至らない。
そのギャップが、現代の難しさである。
ボランティア・災害復旧ツアーを旅行代理店が企画するとレジャー気分?で応募し、損得抜きで被災地に出向きすんなり3K労働を厭わない若者だから、その気にさせ主になって働いてもらうは載せ方次第と言えないこともない。
だがしかし、上下・長幼に序ありの中華文化圏では、残念だが時代の空気にキャッチアップしつつ若者を活かそうと動ける、練達の上位者は見当たらない。
その結果、この国は世界の潮流から逸れて、パッシングからナッシングに下降しつつある。その大きな一因として、旧世代が蓄積・保有する知的財産がスムーズに次世代へ継承されない、世代断裂が指摘される。
世代間の諸々の断絶が、地域であれ、企業体であれ、時に家庭の中ですら、修復されないまま放置されると、地震・大津波で半没状態になった列島は、近い将来西太平洋の深みに全没しかねない、、、、
イカンぜよは、西の方の南の端あたりの地方語らしいが、使い慣れてないので自信はないものの、このままではいけませんくらいの意味だ。格別説明する、それこそ蛇足である。