サイト君 第33話

昨日の続編を紹介する。
メゲーヌ来訪滞在45年のサイト君が,メゲーヌで始めて遭遇した驚ろき、その後も変わらなかった驚ろきは、新聞のタテ文字書きと判型の大きさ。
それが引続き今日のテーマだが、45年間変わらず新聞だけがその体裁を保ったことは確かに凄い。しかも実際にこのスタイルが始まったとき、それは何時まで遡るかが判らないが、45年より長いこともまた事実だ。
変化する事が良いか、それとも変化せぬ古いものが全て良いかを決めることは難しい。
だが懸念もある、メゲーヌに限らず過去の成功体験があまりに華々しく強烈過ぎて、モードチェンジや老朽化した設備の代替更新の時期を失してしまい、時代の表舞台から退いた例が多々ある。
各地の公共団体のお膝もとに記者クラブを構え、政治ネタや行政プロパガンダを1面からヘッドに流す。
この日常茶飯事を好む地方メディアが、果たしていつまで地域のリーディング・ライターたり得るか?
現在進行中のIT革命に、規制メディアの王者=ペン・ホルダーは上手にキャッチアップしてゆけるか?
事は地方だけではない、首都のペン・ホルダー達もまた危うい。数万人規模が集まった集会の事が、どこにも書かれない例が散見される。
ウィキペディアジャスミン革命を遠い外国の事象として、いつまで傍観し続けられることであろうか?
サイト君はメゲーヌ以外でタテ文字の新聞に出逢った経験が無いと言う。
ヨコ文字はタテ文字よりもリーズナブルなようだ、ヒトの両眼は水平方向に並んでいる。
タイプライターのキィー配列も水平だ、あえて根拠を探れば眼の並びに行き着くのではあるまいか、、、
次に、判型だが、あの大判もまた世界的に珍しい。
博物館級の扱いをされかねない代物か?
ここでもサイト君は、メゲーヌは凄いと言う。
大発見のレポート。あの大判を巧みに操るのを垣間見て驚き、そして今も時々見るのでその都度感心していると言う。
器用に折り畳み小さくした面を持って、満員すし詰め状態の山の手線電車内で読みこなす。そんな朝の通勤客を何人も見かける。記事は長かったり,あちこちに飛び跳ねて配置されていたり、にもかかわらず、少しもたじろぐ事なく、拡げては畳み直し、一つの記事を我慢強く?読み続ける。
この国のサラリーマンは、腕の良い職人ぞろいだと始めは思ったと言う。
今日はこれまで、テーマの締めくくりは明日です