泉流No.22 沈丁花

* 門口に  妻の声聞く  沈丁花
〔駄足〕この春は千年に一度の大変事があり、天候がまた常ならぬ推移を辿りつつある。
どちらも太陽黒点が地球にもたらす変動の一つであろう。これら変動に科学的相互関係が想定されるが、その解明はまだ暫らくかかりそうだ。
そのせいか?ついつい昔の事に想いが走る。
この句は20数年前東京暮らしの頃に詠んだのを、今日ふと想いついたので掲げることにした。
このごろ散歩の道すがらジンチョウゲの香りに誘われる。
つい、きょろきょろ辺りを見回す、花があった、咲いている、確認して落着く。その何日か前もそんなことがあったから、今年の開花は例年になく長続きなのかもしれない。春なのに気温上昇テンポが行きつ戻りつのせいであろう。
沈丁花金木犀と並んで判りやすい。独特の香りがかなり遠くまで届くので、ついついそちらに足が向いてしまう。
平成の初めの年に2度目の東京勤務になった。
明日の日何処に居るかが説明できないサラリーマンの日々であったが、回顧すると結果として四捨五入で20年弱、東京流民であった。
そのうち最も長い約半分の時間を世田谷の借家で過ごした。
始めの数年は単身赴任であった。時々新幹線のターミナル駅(=前の任地)から、妻が上京して1・2日顔を出すことがあった。
この国のバブル経済が破裂した直後の頃、勤務時間が乱調・ケータイ電話出現以前でもあり妻の来訪は概ね突然だった、ように覚えている。
世間の符牒?で細君のことを福の神・山の神とか、、、
作者の場合自ら立働らくことなく食べられることが、神仏ほどに有難いのであった。単身赴任年数の寿命算定はドッグ・イヤー換算でせよとも言うくらい、気が重い日々ではある。
その単身赴任が2・3年で終り、家族一同は狭いながらもその世田谷の一つ家に再会した。
玄関先に買い求めて植えた沈丁花があった。
なぜか未来予測の難しい借家人にも、庭木を買わせる雰囲気があった。”せたがや”の「がや」なる発声は、「我家」を連想させたのかもしれない。
象徴が沈丁花であった。
妻の声を最も聞きたがったのは、或は沈丁花かも知れない。