サイト君 第21話

サイト君は実は足元の国の住民ではない、自ら積極的に明かさないがサンク国から来た長期滞在者の一人である。
その事実を知る人はごく少ない。
積極的に明かさない理由は実に簡単だ。足元の国には自国民とか他国民とか本人そのものよりもその所属類別を以て区分して付合い方を変える作法や、それをしきたりとして押付ける困ったクセがある。それから逃れるためにサイト君は、故国の話を避け文明同化を装っているのである。
事実たる当人よりもその属性を優先してヒトを平等に扱わない生き方は、当人が逆の立場になった時に味わわざるをえない不自由さなのだが、そのことにメゲーヌの多くの定住民は気がついてないとも言った。
この度の地震津波によって壊滅的被害を受けた三陸人の中に、故郷を離れずしがみつこうとする郷党ナショナリズムが見える。
それを踏まえて提示される集団移住計画の背景には、”他所者<よそもの>”思潮のウラ返し恐怖症がある。
そのいずれにも内在する排他主義に危惧を感ぜざるをえない。文明化された社会の困った一面でもある。
サイト流世界観は、人類は人として共通する要素が100%、趣味や言語や顔のつくりに個性差があるから生き物なのであるとする考えだ。これは要するに拘らない文化だ。
至極当たり前の原則で、拘る方・文明思潮の方こそがおかしい事に気がつく。
拘りとは何か?
それは例えば国籍や人種・民族などの差異を論ずる事だ。
彼一流の理解によれば、これ等はことごとくナンセンスで何らの科学的合理性も無い。だからこそサイト君の故国であるサンクには、これを助長する機能である戸籍制度も教育を管轄する行政府も無いのだとか。
戸籍制度は、メゲーヌ国の宗主的存在であるボウ国にも無い、教育体制もまた行政府から独立し別組織らしい。
拘りを持つ人間は、拘り教育によって育てられる、誤れる文明観の植付けである。
本来人間は,百人百様の個性をもって生まれる。それが始まりの自然の姿だ。天性の平等でもある。
文明社会にはヒトの集まりである集団が存在する、団結する事を以て自己と他者とを区分し、他者より優位に立とうとする。そこにはその拘りを正当化しようとする企らみや拘りから派生する歪みを隠そうとするトリックがある。
正当化の意図や隠す本当の理由は、それが反自然であり・天性の平等に反するからである。
集団は、外部を隔絶するだけではない。集団内部の個人をもまた隔絶する。試験や選抜と言う階層・序列を形成する隔絶ストレスである。ここで言うストレスとは本来の人間性に逆らうこと=反作用全般を言う。
内外ともにストレスが強い集団の事例を挙げる、宗教信仰団・暴力を行使する軍隊マフィア・官僚など『一つに纏まる』組織群などが代表的文明集団だ。
今日はこれまでとします