泉流No.21 浪の花

* 浪の花  春陽は霞む  堅の海
〔駄足〕この数日東北に居た。
そこでマグニチュード7超の余震を体験した。
彼の地は昨秋の取材滞在以来だが、親不知・子不知以西に住む者にはいささかきつい体験であった。
3月11日以来続く80回以上もの多きにわたる東日本の地震は西の方では殆ど揺れない。
それをわざわざ出向いて震央から遠い東北ゾーンの一画で遭遇した一度だけの揺れで、連続大規模地震の恐さを及ばずながらも少しだけ味わったような気がした。
予定を切上げて早めに帰宅の途についた次第である。
その帰り道の景色である。
だいぶ日脚は伸びた。
堅の海<かたのうみ>なる地名があるかどうか?いやおそらくないであろう。
運転しながらの曖昧な記憶では、堅苔沢<かたのりざわ>付近のつもりである。
山形・新潟の県境付近は、極端に道路事情に恵まれない。
高速道路もだいぶ遠い将来だし、頼りの国道すらも一本のみで予備の迂回路もなさそうだ。
いつも通る唯一の国道だが、日本海に面した道の多くがコンクリート橋になって海上にせり出している。
そんな場所が幾つも断続的だが続いている。
そうだ。走りながら不安を感じたのだ。
果たしてこのような道路は、地震津波に対してどうなのだろうか?
走行中に揺れが来て、その衝撃で目的地に向う橋桁や後方のそれも脱落したら、進む事も退く事も叶わなくなるに違いない。
やがて、気がついて笑った。
直撃されて即死する事態を、何故真っ先に想定しなかったのだろうか?と、、、我身だけはかろうじて直撃即死を免れるような勝手なストーリーになっている、妙なことだ。
このルートは、これまでも最上川子吉川の取材で何度も通過している。これまで一度もそんな懸念を持たなかった。
これこそ東日本大地震後の変化の一つだ。
この度の滞在は、情報提供者たちの安否を確かめつつ、災害見舞を手渡すためのショートトリップだったが、日向川<にっこうがわ>と月光川の春まだ浅い川面を眺める時間は少しあった。
そこでちらと思った事があった。
地表の川は、地中に隠れて本来見えないプレートの境界を指し示す自然景観なのではないか?と、、、
地震が起るメカニズムはプレートの動きであり、プレートが長い間の貯まった歪みを一気に解き放つエネルギーでもあると言う。
貯まる歪みとは、人間が感じないくらいの比較的小さな大地変動エネルギーが日々蓄えられるプレートの変形をさすらしい。
川を流れる水は、時に大きな地震に拠る変動も、日頃の眼に見えない小さな地殻変動のどちらもコマメに拾って,刻々に川の流れを変える事で、大地とその下にある見えないプレートの隠された変形の状況を知らせているかもしれない。
明治以降,戦後の今日は特に、大型重機を駆使して川を閉じ込めることに忙しく、人間が貴重と思う陸地や農地を川から守り遠ざける事のみを進めてきた感がある。
護岸工事なる極めて都合のよい身勝手なコトバがあるが、河川であれ海洋であれヒトは、我身の都合で埋め立てたり、囲い込んだりして、水を排除して陸地を造成してきた。
だが、そこは人間時間の時計による暫定陸地であって、地球地質時間の時計でカウントすれば、やはり川底であり海中なのではなかろうか?
さて、句の意だが、帰路は南を目指し右手にやや傾きつつある春陽の光を受けて、穏やかなドライブであった。
この日は朝から風が強く、海面の波頭が白く踊るさまが忙しく見えた。
堅苔沢付近では、遠く鼠ケ関らしい小高い島の鼻先が霞んでしまい、桜の開花にまだ早く、春霞のような空模様であった。
浪の花が、宙を舞っていた。