サイト君 第12話

サイト君は,前稿でパラダイムなる用語を用い、物事の是非を決める根本基準と説明した。
そこで質問した。自然科学の真理とどう違い? どう重なるのか?
単に真理と言うと宗教・倫理・哲学・論理の用語で苦手だが、科学フィールドの真理に限ればリオタール*の定義に賛同しているそうだ。
自然科学の真理も社会科学のパラダイムもともに、その時代・その地域の多数者の支持により成立つ基準である。とリオタールは言いきっているものとサイト君は理解したようだ。ただ、このサイト流解釈は邦訳版経由だそうだ。
さて、この度の太平洋岸被災地をTVで見て、足元の国の地方地域も都会と変わらない体たらくに陥ってしまったことに落胆したと言う。
都会が自存能力を欠くのは、文明の一要素的現象であり近現代世界共通のことだが、地方地域は文化フィールド・ゾーンとして自給自足が出来ていた。だが、それは過去の印象に基づくサイトの誤解であった事がこの度はっきりした。地方地域人も都会志向を長年続けたせいか、都会と全く共通のパラダイムを持つに至った。
灯油・ガソリンが無いから勤務先に行けない病院スタッフの報道など、長距離移動システムなる=250年前には存在しなかったニュウフェースが定着してしまい、脆さをたやすく露呈する「大きな物語社会」が隅々まで隈無く行き渡った現代に、サイト君は大いに落胆したらしい。
*J.F.Lyotard(1924〜98)=パリ第8大学教授哲学。主著「ポストモダンの条件」水声社
今日はこれまでとします