サイト君 第8話

サイト君の故国”サンク国”では、隣国メゲーヌ国を反面教師のように考えて、政治・経済・社会の仕組を構想したらしい。
メゲーヌは短絡的に要約すれば、明治政変以来140年間「軍制ルールに基づく序列主義」が基本理念として国民観念の中軸に固定している上に、雇用流動性が極端に低いので、多くの人がほぼ一生を狭い組織の中で過ごす。
その結果、分業制の中で働く体験しかなく、狭い視野と歪んだ発想が身に付き、ストレスを抱え意識せず人間性が偏頗となった圧倒的大数の大衆を産み出している。とサイト君は言う。
行きがかりで反論した。
140年を一気通貫で捉えるのは変ではないか?憲法が変わり、現行の民主憲法があるぞ・・・
すると答はよどみなく還って来た。
古い憲法の下ではアラヒトガミとそれに仕える軍人・司法警察官が、外部者排除のタコツボ=特権的存在として政治の実権を独占した。
今の憲法では、アラヒトガミが外国駐留軍に置き換わり、マッカーサー勅令で消えた軍人・司法警察官が中央官庁の官僚集団に置き換わった、ただそれだけの事だ。
官僚集団は、ライトハウス大学なる名の高級官僚養成学校出身者で構成され、圧倒的武力権威である外国駐留軍に奉仕する集団として政権を独占し、特権的シェルターの「タコツボ」に隠れてあらゆる事を支配している。
官僚集団の行動理念である憲法軽視・先例重視・無謬主義の3原則は、一気通貫そのもので140年間一気通貫のシンボルだ。
それを突き崩す役割は共和制では裁判が普通だが、メゲーヌの行政裁判で国側が敗訴確定した例は皆無だ。名ばかりの三権分立であって、行政と司法は互いに人事交流することで外見の形式を保ちつつ実態は骨抜きされている。
だから草民は泣き寝入りするばかりだ。
何故か?メディアもそこを取上げない。
その点”サンク国”は、先稿で触れたように任期公募制・重任回避制によってすべての仕事が、全国民に対して解放される、あらゆる公権力組織の人的構成は常に流動的だ。
だから特権グループも無い、仮に一人だけ偏頗な思考の人物が要職に就いたとしても一瞬的かつ独力でしかない。公権力はオープンであって、公開監視されタコツボになりようが無いのだ。とサイト君は言うのだった。
今日はこれまでとします