生泉流No.3 ヴェックの会にあって

* 道のおく  いつものごとく  湯浴みする  ふる里とおく  更に哀しく
〔駄足〕大病をする都度、寄書きが届く。
患いはすべからく一身上の事なので他言を憚る習いだが、遠地にあって察することがあるのだろうか?
過ぎた人事は憶い出せない、それも四半世紀以上も過去のことになると、尚更おぼつかない。
切手、新聞、電話、ケータイ、忘・新年会、カラオケ、などに貢献しない。つまり行政が標榜するGNEアップに寄与しないサイドの一人であるから、遠路上京での古い友との会食もまずない。
さて、アラサーティの頃、イノヴェイションに近い仕事をしたことがあった、東京虎ノ門界隈でだ。
その仕事の記憶だが。孫悟空みたいな人物が、入れ替わり立ち代わり現れ、空飛ぶ絨毯を明日にも仕上げてみせようと言った話題が続く。
こちらも雲を掴むような気分になってしまい、日々が五里霧中であった。
同僚がまた異能偉才の顔ぶれであったが、今頃になって驚いている。遠地にあって我が体調を遠隔透視するとは、役行者と弘法師を併せたような超能力を備える現代人が居るとは?
もう書く事がないが、病も天災罹災もまた人生のうちの事であるとつくづく思う。