泉流No.15〜17 今朝の雪

* 今朝は雪  被災地の悲惨  思いやる
〔駄足〕今日から新暦3月も半ば過ぎであるがいつまでも寒く、今朝は雪であった。
天気予報どおり雪模様はしばらく続きそうだ。
11日に東日本を襲った地震津波で多くの罹災者を出した東北の被災地は、この寒冷にあって更に厳しい悲惨な想いをしているであろう。
「身を切るような寒さ」なる大袈裟なもの言いがあるが、自らの生命以外の全てを失い避難所に身を寄せる者の悲哀は全く想像を超える、、

* 木の下の  アリエールトは  借家人
〔駄足〕呆爺<ほうじぃと詠む>であるワットはミノムシ族だからこそ、健康に務めることで唯一の五体資産を維持しようと散歩に励んでいる。
今朝は舞う吹雪を押して借家を出かけた。
散歩以外の目的があった、避難場所の下見である。
散歩範囲の中に公園の数は結構あったものの、期待の公園のうちには公衆トイレの備えは一つもなかった。
次いで,コンビニエンス・ストアも5つほど眺めたが、外来者向けトイレらしいものは見えなかった。
下見の心がけは、「治にあって乱を忘れず」の実践第1段のつもりだったが、帰路は大いに落胆しての帰還だった。
落胆の背景は色々ある。
不特定多数者供用トイレつまり災害時に利用できそうなトイレ施設が住いの周辺に無いことは、残念を通り越して脅威である。
コンビニの経営者も公園施設設置・管理者である行政も、再々防災を口にするものの、最も必要度の高いはずのトイレに対する具体的備えは見て取れなかった。
臭いものは憚る類いの偏見?が、正面からの装備や議論を迂回させるのだろうか?
世界有数の地震銀座である弧状列島の定住者にして、この迂闊さは国民性か?
それとも古くから言われている、1億総評論家の所業なのであろうか?
評論家は口だけ動かし身体を使わない?の意味(評論家の方々には失礼)であるとすれば、国民性の一つである忘却の早さと徹底した楽天主義と相通じるものがあって、いつまでも災害への備えは未完成のママで終始する。
そのせいか言い訳・ごまかし的キャッチフレーズは、速やかかつ巧みにメディアを走っている。
先年の経済大不況は百年に一度だったし、この度は千年に一度の大津波だとか、国内史上最大規模とか、、、聞きようによっては、これまで何も出来なかった理由のようでもあるし、これからも何もしないが税金は払えと言われているようだ。
その点借家人=木の下アリエールトは、固定資産税の直接的負担者ではないし、地面を持たない者の気楽さ?で、天災で失う恒産は持っていない。
以上は、当人の日常からの自助努力の不足はさておいての方外な暴言ではあったが、、、、

* なにゆえに  大事なラインを  土の下
〔駄足〕トイレの次に所在を捜したのは、公衆電話であった。
ケータイ電話が、出現してもう何年経ったであろうか?
被災した人たちは、ケータイが肝腎な時に役立たず、さぞかし苛立った事であろうか?
これも罹災地から遠い北陸の住人には、想像であって体験ではない。

災害の時に人は、遠地の家族や身内の安否を気遣い、連絡を取ろうとする。
その肝腎のタイミングにおいて、ケータイは通信機能を停止する事態なり、措置が採られる。
公衆電話の配置が消えつつある状況は、素人目にも明らかで相当以前から知っていた。
観光地などでケータイ電池キレから公衆電話を探しまわる若者を目撃したことがあった。
この日の当地における緑色・灰色そしてピンク色電話の探索結果もまた想定範囲内であった。
企業戦士は全国に散乱する。
単身赴任の男は、夫や父であり、また父母の息子でそして兄弟で、独りで何役も果たすマルチ・キャストだが、大災害発生とほぼ同時に通信上の外界に放り出されるアウト・オブ・コミュニケートの難民となる。
ここで突如、ワットが半生で得た乏しい体験に触れる。
ワットは、1964年の新潟地震新潟市内で、1978年宮城県沖地震仙台市内で体験している。
あの当時なくて今あるものがケータイだが、
災害非常時における公衆電話の役割は大きい。発信規制から除外されるインターラクティヴの通信手段として、おそらく唯一の存在であり、臨時に通信料不要の措置がなされることが多い。
線方式の電話のシステムがどうなっているかや総加盟数など全く知らないが、便利な道具ほど災害時に裏切られる。
この百年に続出して隆盛するシステムは、ほとんどそのようなものだ。
あえて列挙しよう、系統電力、地下鉄、新幹線、地下埋設の上水道と下水道などなど。
いずれもライフ・ライン・システムだが、公共インフラなる新語を冠してライン化されたのは、人類史上ごく最近の事だ。
飲み水などは、システム化される以前有史以来のライフ・バッジ方式の仕組で不便だったが、平常時も災害時も変わらず使用に耐える時代が長かった。
ライン・システム普及により、都市住民だけが便利を享受し、一繋がりに連なるメリットが都市を巨大化した。
都市の形成は、平坦かつ広大な地形が前提となる、結果的に大河川の河口から下流域へ、そしてウオーターフロントの迷?造語と表裏一体の官製談合インフラ土建が活躍した。
「海辺のマイホーム・タウン」造成地(=岸辺のビジュアルモニター?)の続出と不動産業が繁栄する戦後元禄時代<昭和終焉期から平成初頭期>をもたらしたのであった。
ライン・システムは確かに便利だが、災害に対する脆さは致命的と言える。
いずれも30年以上の昔との比較だから、暴論かも知れないが、災害は100年の進化をも一挙に押流してチャラにしてしまうものだ。
もちろん、手元にインターネット・システムと盤石の自家発電装置とを備える人は、おのずから別枠だ。
自家発電用燃料の枯渇対策やら災害で一度断たれた陸上輸送の復興による燃料供給の再開やら、その奥に連なる派生要素は、裾野が拡大するばかりなので、もう放り出そう。

* アラレ走る  双手にトイパー  老夫妻
〔駄足〕
トイレ、公衆電話と来て、遂に話題は遠く産業構図まで飛び火したが、散歩の足の方は意外と着実で、我家は近くなりつつあった。
眼の前のスーパー・マーケットには、トイレがあって一安心した。
放水を済ませた余裕を得て店内を視察。
ナなんと、被災地から遠く離れたこの地ですら乾電池とトイレット・ペーパーは、売切れであった。
『乱不忘』は、心の構えであって物の備蓄ではないはずだが?
ペーパーの方は店員の耳を患わす必要はなかった。
入口付近のエレベータ前にある常設位置に底板のみがぶざまに見えていたし、そこの駐車場でもの凄いアラレに打たれつつ悄然と歩く老夫妻を理解不能の輩ぜんと眺めて来たからだ。
この地・この期は雨もアラレも傘で凌ぐのだが、見かけた老夫妻は、「きんかん」族でトイパーを持つため両手が塞がっていた。
あの大きなトイレット・ペーパーの集合体を一人につき5つも6つも提げているのであった。
手に買物を持っているのは売場の駐車場だから、当たり前だが、際立つ光景であった。
散歩は手ぶら=これがサイト君の”サンク憲法
なので、手ぶらで出かけ・手ぶらで帰宅した。
見渡すとワット以外手ぶらの者は皆無であった。
乾電池の方は買う気も無いのに、念のためと想い探しまわったが発見できず、店員の持ち時間を費やしてしまった。
一ト言、もう売切れました。
またも、世情視察に堕してしまった。
それが、句の意である。
〔駄足の蛇足〕
呆爺の頭には「ゆうかん」が付く、意味は文字に換えると「有閑」になる。
その対極に位置する「きんかん」も漢字化すれば「金&閑」、つまりカネもヒマもありそうな富裕者を言う。
駐車場における際立つあの老夫妻だが、傘を使えない意味で、ワットには悄然の姿に映ったのであった。
因みに、ワットはミノムシ族である。
ミノムシは土地を使わずに家に住む知恵者であって、それにあやかりたいとの願望がある。『借り暮らし 木の下アリエールト』を実践して来た。こっちの方は正真正銘の意気悄然だが、、、、