泉流No.13 山茶花

* さざんかに  淡雪ほっこり  雛飾れ
〔駄足〕3月3日は朝から雪模様であった。
次の日も、いかにも日本海らしい早春の北陸の空らしく、晴れたり止んだりと、半時ごとに入れ替った。
日がな一日、空を見上げている事もないから、半時などと昔風の曖昧な時間割を使ったが、もちろん腕時計などと言う気の利いた文明?の利器の持ち合わせはない。
3日の午前は、たまたま松任古城が見下ろせる建物の中に居た、切取られた窓の中の青空と南の山並の上に湧き出る入道雲は爽快であった。
次に気がついて、顔を挙げたら既に窓中すべてが斜めに走る雪スジであった。
窓に近づいて,西の方を眺めた。日本海上は一面の黒雲であった。
空に漂う雲から、離れたドロッピィが地上に降り立つ時に無色透明な液状でいるか、白い嵩のある雪のカタチを作るかは、地上の気温次第らしい。
早春のこの時期、三寒四温のペースで、空の表情は入れ替る。三日目の今朝も庭は白いし、上空を過ぎる爆音も聞えない。
この数日は、冬将軍の鼻息が勝っているらしく、小松空港への着陸アプローチは、北に顔を向けているのであろう。
山茶花と書いてサザンカとは、何ともアイロニィな匂いがする。葉っぱは茶になりそうだが、試したことはない。花も厳冬期から早春にかけて咲くのだから、早いのか?晩生<おくて>なのか?決めかねる。雪に散々にあしらわれる開花期だが、呼び名の由来もそんなところであろうから北の方の生まれであるかのようだ。
花の色が、また渋い。落着いた赤系である。
淡雪を花びらに載せて文字どおりの紅白だが、
くれないの紅花、最上川の流域に産し、その昔北前船が京まで運んだ染料だが、どうもあの色は、朱の赤色である。つまり字づらは体を顕わしてないように思える。
都の舞子の唇は、紅色なのであろうか?それとも紅花が染める朱色なのであろうか?フィールドワークして答を出す必要がありそうだ。
さはさりながら、眼の前のサザンカの淡雪は、地味で落着きを感じさせる方の紅白である。
雪椿、寒椿の本場は、新潟県加茂市に落着きつつあり、星野哲生?小林幸子?の業績にしておくとして、、、これも雪の厳しさと対の花である点でサザンカ並に散々な花だ。
最後はホントの蛇足である。
第3句が、雛飾れとあるのを奇異に想う方だけに備えて書いておく。
3月3日の夜半には雛を片付けるのが「都ぶり
」であるのに対して、4月3日の雛祭りに向けて早々と飾り始めるのが「鄙<ひな>ぶり」である。
東北では月遅れ○○と呼び、1ヶ月遅らせて節句祝いを行う。新暦ベースではあるが、その地域の季節感覚に会わせた生活の知恵であろう。
幼娘がたむろして互いの雛人形を訪ねあう風習も、猛吹雪の中を押して出かけるのでは親心が傷むから、一工夫したのであろう。
新暦ベースとは、いささか理屈めいた物言いだが、この国民性を想えば致し方ない。
24節気なる季節感覚になじむ地域主権センスの「暦」は、とうの昔から存在するが、明治からこの方の軍制中央集権制度が定めた一国統一の「天文暦」にこの際従っておこうとする妥協の一策が月遅れトッピングなのだと、しておきたい。
とまあ、自然の厳しい風土は、大らかなものらしい。