泉流No.12 ネック

* ヨガ習う  首腰廻らず  それネック
〔駄足〕60の手習い、65のヨガ。とまあ、老人のやる事は、残された時間と身に備わる老人力とを考えれば、タカがしれてる。
とまあ、結論めいたことを言うとすれば、そうなる。
英語では、首をネックと言うことを忘れたわけではないが、他人サマから指摘されると、いささかムッとする、昨日の春のいきなりの暑さのせいでもあるが、、、、
ワットは、ボトルネックのつもりで口にしたの
だが、ウイスキー瓶もたしかに人体のカタチをしている。
そうだ、人も瓶も確かにウツワである。
器用であるとかないとか、使う文字が「器」の大きさ「器」の使いでの善し悪しを示している。
ところで、ウイスキー瓶は何故あのようなスタイルをしているのだろうか?
液体を収める器に限らず人間が必要?に迫られて開発した道具や機械には、生き物のカタチや生物の動きを真似たものが多いそうだ。
と言っても、世界中にあるすべてのウイスキー瓶を眼の前に並べたのでなく、たまたま憶い出したオールドパーの空き瓶を頭の中に描いてのことだから、これもまたタカがしれてる。
酒もガラスも人類の始まりとほぼ同時期に造られたと考えてよさそうだが、ボトルネックにすることは、”一石五鳥”くらいの効能がありそうだ。
ガラスの使用料を減らすためとか、栓のコルクを節約するためとか、栓の開け閉めを女性の小さな手と指で出来るようにするためとか、、、、
それに、ガラス瓶は息を吹き込んで造る事とも関係があるのであろうが、とにかくウイスキー瓶もその栓も手頃に小さく、キッチンドリンカー天国の形成に貢献をしていて有難い?
酒瓶と言えば、つい地中海の難破船から引上げられて、陽のめを浴びるあのアンフォラを憶い出す。
あの図体では、大き過ぎてたやすく酒を注げないばかりか、小瓶に移し替える都度奴隷を呼んで、大男の力に頼るようでは、気安く酔えそうもない。
今日の話は,そこまでである。
と言うのは、ヨガの体験談をしながら、その苦しかった恰好の真似をしてみせたら、聴衆の中に孫らしい6歳の女児がいて、実にやすやすとこなしてみせた。
なるほど、老人力とは、本来身に備わった能力を迂闊に失ってしまう、その体たらくを指すコトバであるらしい。
過ぎ去った時間は戻らない。
若いことによる未熟さと隣り合わせの柔軟さや無限の可能性もまた永遠に戻らないのであった。