泉流No.11 医王山

* ほっこくじ  イオウゼン見ゆ  きらきらら
〔駄足〕この数日、気温上昇が早い。
花粉のせいだろうか?いささか興奮気味の出来映えである。
犯人は花粉に限らない。まさしく春に向う今頃は、何かとコントロールが利かない時季だ。
ほっこくじは、あえて漢字表記すれば、北国路となろうか?
と言って、そんなコトバは無いかもしれない。詠者の言わんとするものは、北国街道なのだが、字余りが著しいので、捏造的に置換えてみた。
そもそも北国街道が何であるか?
北陸道なる言い方もあるが、紛れやすいので「道」を指したい場合は避ける。
北海道が道路を含めてゾーンであるように、北陸道もまた地域を示すコトバでもある。
とまあ北国街道なる道のことを、ワットは未だよく判っておらない。
これからフィールドワークの成就に向けて時間をかけて踏査したいと想う。
北国街道は、いつ頃?どのような事情で?そう呼ばれるようになったのだろうかも調べたい。
そのような場合、最近の才子は、実に手軽に結論に達するのだそうだ。
ウィキペディアとやらにアクセスして立ちどころに我がものにする手法があると聴く。
その点ワットは、才子でもなく、「受売りインテリゲンチャ」になる資格もなさそうだ。
鈍重かつ頑迷な老体としては、ダサクともマイカーを使って、区間を区切ってのんびりとその地に身を置くことを重ね、そのプロセスを通じて何か沸上がるものを感じたいと想う次第である。
よって、全行程を通過するのにアト何年かかるだろうか?
それが成就した時に果たして答が見つかるだろうか?
雲を掴むような、このおぼつかなさは如何ともしがたいが、今からそう悲観する事もない。
愚直に、そして適当にドライヴを楽しみながら、事実を積重ねるうちにオンボラーと何かヒントらしいものが浮かび上がる事を期待したいものだ。
勿論、マイカーを使っての全行程通過なるワット流の企てそのものにも問題無しとしない。
自らの足を使って踏破すべきであるとする望見論もある。
時代感覚を味わうためには、芭蕉や蕪村の真似をするべしとの考えだが、今と当時の景観の違いもあるから時代差は如何とも埋めがたく、そこまではやらない。
徒歩での踏破は、第2ステップとして頭の隅にでも置いて置くことにしよう。
まあ、街道と呼ばれることから、京都と江戸を結ぶ移動ルートのうちの主なもの、おそらく東海道中山道<=この場合、”道”を道路であるとしてだが>を補うルート、更に大回りする第3の街道であったと概ね想定している。
さて、句の中に出てくる北国街道は、白山市の駅前に近い中心商店街の叙景である。
この数日、空と山の景は、冬なのだが、何故か太陽と風の匂いがもう春めいている。
南風の日々が続いている。晴天がほぼ終日安定するのも、この時期また珍らしい。
そんな気分で街道筋を歩いていたら、道の奥に光り輝やく雪の山が見える。
旅行く者に力を添えてくれる、なんとも好ましい風景である。
街道は景色の良さも考えて作られている。
浮世絵の題材となった東海道の好風景からも、そう言いきって間違いなさそうだ、と想ったが、待てよと思い直した。
眼の前の景観の中には電柱がない。
五十三次にも、あの無粋な電柱がなく絵になるが、現代ニッポンではもう失われた風景だ。
それに想像するに、昔の街道は、眼の前の道よりも狭かったであろうから、街道沿いの商家の家並みが迫っていて、あの山は見えなかったかも知れないのだ。
田んぼ道の街道筋なら別だが、宿場辺だった事を考えれば、現代の都市計画が創出した好景であるかもしれない。
シャッタア街なる悪い言い方もあるが、両側歩道付き2車線幅の車道、電柱除去済みの空に、あの山は実によく映える。
あの山とは、金沢市内から見える医王山<=土地の人の発音はイオウゼンと聞える>のことである。
かつて金沢市内から見たその金沢の山は、川の奥に鎮座する。
川と山の繋がりは、その昔写真か映画かで見たザルツブルクの遠景に通いあう、これまた好景である。
そのシンボリックな山の形を横顔でもって、今日見ているのだが、道を歩きながら向う目的地の目印が景観のうちにあり続けるのは、なんとも頼もしい。
第3句目は、キラキラしでも、キラキラりでも良いのだが、それでは、加賀のギラギラした夏の空を連想させかねない。
医王山の白雪が跳ね返す春の太陽のキラキラは、この時期だけの景色だ。
長いこと待ち望んだ明るさ、厳しかった寒さからの解放を告げる存在として、南の空の明るさを象徴している。
国栄えて山河無しだが、カ行で始まるコトバには、カネで買えないからこそ何ものにも代え難いのだが、景色もまたそうだと想う。