生泉流No.2 鬼の厄日

*元気者  ポカッと休んで  どうしたか
    隠れ鬼かな?  年一バイト?
〔付足し〕立春前日の節分は、鬼の厄日である。
東アジアでは、列島を除き、明日<脚注をまず先にお読み下さい>から新年である。但し旧暦マターである。
従って、今日をもって冬は終り、明けたら新年かつ春のスタートだ。
よって、東アジアでは今日は大晦日に当る、日本でもつい140数年前は追難会<*下注>なので、鬼が豆をもって追い払われる厄日だ。
    <*注>追難会=ついなえ。
   2文字目ナのは宛て字、
   本来の字は難の左にニンベンが付く
因みに、節分は,立春立夏立秋立冬の各前日を言うので年4回あることになる。
立春に替えて大陸では春節、ヴェトナム紛争世代はテトなるコトバで覚えていようか、、、
さて、列島を除くと書いたが、それは明治政府太政官が明治5年11月に突然布告を発し、12月3日を新暦明治6年1月1日になる、太陽暦を採用する、としたことを指す。
但し、これでもう暦の話はしない。
理由は簡単である。太陽や月の運行を扱う天文学は、整数マターを超える細かい数字を扱うので、手に余るからだ。
しかも、24節気なる季節暦と天文暦とでは、互いに異なるニーズをもって成立した経緯があり、これを調整する暦問答に至っては、群盲触象のオラには無縁だからだ。
時の改暦の大御所大隈重信は、改暦問題でか、資金繰りでか、その両方か?で、相当苦労したらしく官を辞して、私学経営に転じた。
ウルサい官僚どもに給金を払うよりも、純真無垢な学生から授業料を受取る側に、180度立場を変えたが、賢いの一語に尽きようか?
さて、鬼の厄日だが、広い世間には「鬼○○」なる苗字のヒトがいる。
日頃元気な存在にも係わらず、休むと。
同僚が言うのだ。
「やっぱり、隠れ鬼だったのかァ」
それを受けて、別の同僚が,更に追い撃ちを。
「節分でもないのに、、、、奴め、日を数え間違ったかナ」  間違いは君の方だよ。
「年一のアルバイトねえ、虎の褌にこの寒さ。ギャラはいいんだろうな」
以上は、ある中堅商社の話、小話1。
「キカワさん、キカワダくん、キトウくん、と今日は3人揃って出勤だね、結構」と、桃太郎部長曰く。
すかさず、美人課員が、すっくと立上がり
「部長、ワタシは。カメカワですよ。鬼ではありません」・・・・全員無言=第1幕・終り
部長「そうだったか」と、一同を見渡す、
眼の隅に、独りの男子職員が、軽やかにドアの陰に消えて行く後ろ姿を捕える。
しばらくして、部長席の電話が鳴る、
「あ、部長。キトウです。
 私の方は、カメの字ではありませんので、、、、電話向きの話題と想いまして、ハイ」
・・・・部長笑い出すのをこらえるのに一苦労=第2幕・終り
例の商社の小話2でした。
小話3で終わりにします。
節分の日の昼休みは、毎年恒例の豆撒きがある。オーナー系の成り上がり会社の場合、年男でもない会長社長の親子が、二人だけで万年揃い踏み。
午後の執務再開、執務室。
部長はいつもどおり席に、遅れて課長登場、急いで着替えを済ませた様子で、席に着こうとやや小走り、、、、
部長曰く 「青鬼課長、ご苦労さん。もう面は外していいぞ」
課員は誰も顔を上げない、互いに顔を見合わせまいと苦心惨憺の正念場
課長答えて「ワダスの姓は、アオジだす、部長サン」=第1幕・終り
その日の夜、アフター5での若いヒラ社員曰く
「青地たあ、カチョーン、珍しい名前だよなァ」
「桃太郎部長の下に鬼課長を配属するなんぞ、人事もふざけトルな、、、」
完。
おそらく、土用さんとか、ウナギさんとかの名をもつ人はいまい・・・・と想うが、、、
<脚注>=これは後日の9日に作成しました。
当初の認識は、本文記載のとおりで、「明日から新年・・・・」と書きましたが、それは誤りでした。
正しくは、「今日から新年です」。
お詫びして訂正致します。
〔付足しの伸びしろ〕
暦は、誰が決めるのか?
難しい設問ですが、まず結論を述べるとの立場からすれば、こうです。
その答は、貴方自身が決めるの一語です。
本文の中にも多数異なる暦概念があることを書きましたが、居住地や従事する職業により、時間軸はそれぞれあってこそ良いのです。
本文では、天文暦と二十四節気について触れましたが、捜せば,事業年度や会計年度などのコトバがありました。
学業においても、春休み明けから新学期が始まる日本の学業年度制が、際立って異例です。
これで留学環境を困難にしていることが,国際社会で特に有名です。
日本に来るにしても,日本から出るにしても、最低半年から1年のアイドルタイムが必要であって、列島が世界の孤児に陥りやすい一つの大きな原因です。
その他にも、ユリウス、グレゴリオムスリム皇紀などがあります。
加えて、昭和や平成などの年号<元号制>も、同時並行的に存在する暦制度であります。
つまり、百人百様であり、自らが決めて使えばよいのです。但し、組織の中に身を置く人は例外です。
お役人は、元号しか使えないようです。支給される官製用紙には、元号が予め印刷されていますから、、、古いイデオロギー体質から脱することの出来ない巨大な化石人集団だと言う友人がいますが、税金で養い続けるのは如何なものでしょうか?
経済学の立場からは、経費の無駄遣いかつ資源節約環境保護への反抗と見えます。
もっと大きい課題もあります。
日本人の国民性の一つに、近視眼、短絡性があります。
おそらくその主な原因の最有力なものが、元号体制だと言えるでしょう。
象徴的存在になっている人物の寿命を以て時代の始まりや終わりを括ることの癖なり、それに異議を唱えようとしない考え方や、その結果として共有するに至る社会通念的なものが、ミレニアム発想ベースより短いことは、言うまでもないことであります。