泉流No.8 大変だ

* 北ハクマ  南はグレン  こりゃ大変
〔駄足〕世界一短い詩であるこの泉流も、今のところインターネット経由だと眼から入るが、言語は口から耳へと空気を媒体とするのが,本来の伝播経路である。
そこで、狙って漢字表記を避け、北はハクマ、南はグレンと二重対比法を駆使して文字を置いた。
いずれも天災であって、自然に対した場合、人間の存在がいかに小さいことかとあらためて想う。
それに比べると3つ目の大変は、民族性の反映であるようだから、これまた天災に限りなく近い手ごわさであって、たやすくあらたまることはあるまい。
1、ハクマは、漢字で書くと白魔だ。
2、グレンは、同じく紅蓮。
3つ目の大変は、国会のねじれを指す。
さて、以下は駄足の駄足だが、
まず、白い悪魔は、1月30日の夜から2月1日の朝まで続いた雪による北陸地方の孤立状態を言う。
海路は報じられてないから例外として触れられないが、陸路も空路もほぼ1日以上シャットアウト状態になった。
たまたま月末の日曜日の夜に当っていたから、単身赴任者で家族の元に戻っていたサラリーマン族は、非常時不在の責めを自らに問う事態になったかもしれない。
さて、いささか脱線気味だが、この手の遠距離赴任やら長距離通勤は、移動マターがもたらした人災であって、天候の異変に全く責任は無いのである。
移動ニーズがこれほど多くの人を巻込み、資本を集めて事業機会を拡大して、やがて大洋を超えて新大陸にまで達するようになったのは、およそこの250年のことでしかない。
産業革命が造った現代社会は、資本主義経済と呼ばれるシステムを採用していて、多くの人はこれを不可避の不可欠の存在と考えているようだが、この遠距離通勤の日常化は、人類史400万年の時間物差しで測れば、決してリーズナブルな必然のニーズではない。
そして、飛行機まで駆使することになった、この遠大な移動ニーズには科学的当為も統合科学的合理性もない。とまあ、ワットは考えている。
このようなことは、ワットは日頃から口にする嫌いがあるが、そんな話題は辞めなさいと度々パートナーから忠告?される。
多くの人からワットの頭の中を疑われるかららしい、、、、
国定教科書をベースに歴史を学んだ多くの常識ある人々は、不思議なくらい確固たる価値観と歴史観を抱き、自らは不動かつ絶対の自信をもって世界の中心に厳然と存在すると確信しているようだが、ワットはそのような賢明さを備えていない。
自信形成には、視力,視野は狭い方がよく,幸福度においても揺らがないに違いない。
ワットは、百人百様の価値観・歴史観があってこそ市民社会は言論討議を経て、より大多数の人が幸せと想える社会=つまり市民社会が健全化すると考えているが、国定教科書ベース史観の人たちは、頭の中に多様性を認める余地は無いようだ。
個々人の個性的思潮や主張を認めようとしない、彼等の頭の中は要約すれば、答は一つしか無いとの思い込みである。
それは、つまりリーダーの決定に黙って従う、市民社会以前のパラダイムである。将軍や殿様の従者でしかないサムライ感覚である。
そこに不動・絶対・厳然たる確信を持つ人は、ワット流に言えば、封建イデオロギーの信奉者だと言うことになる。
では、その封建身分制を破壊したことになっている明治政変後は、果たしてパラダイムイデオロギーも存在しない、偏りの無い理想郷であったろうか?
これもまた、百人百様の見方に立てば何も一つに絞り込むことはないが、明治政変後から現代までが理想郷に遠くなっていることもまた揺るぎない事実である。
この140年、封建身分制に替えて出現した姿は、国民皆兵序列制全体主義であった、別の言葉で言換えれば、全体主義軍制社会と規定できよう。
他人と異なる考えを許さない単元主義や討議罪悪視の流儀は、民族性でも固有の国民性でもない、この140年の間に形成された国定教科書史観とペーパーテストのしつこい連続が造り出した現代思想の最有力なものである。
この辺りを述べるのは長たらしいので、短くして「タコツボ史観」とでもしておこう。
狭い井戸の中に居て、盆栽でも眺めて過ごす。感じることに意義があって、他人との差異を話し合いながら妥協点を見いだす訓練も才覚も持たない、究極の拙速主義でもある。
さて、これほど、眼の前に雪があると、2・26事件の風景を憶い出す。
国民性規模の拙速主義は、命令一下、全員服従、議論不要、回顧排除にも通じており、全員を巻込む「内なる平和」思想が招いた破滅へ向う大きな一里塚となった。
戦後の社会も、基本的にこの主義思想は、改まっていない。拙速と序列がモノゴトをスピーディーに片付けるメリットは、確かにある。
単元単調の決定論である点において廻廊半島の北半部と大差がない。特に無謬政治(むびゅう)と大勢翼賛に落着くことが現象的に共通である。
昔陸士(りくし)海兵(かいへい)今ライトハウス大学、いずれも平民が序列の上位に早く食らいつく最短コースを意味する決まり文句だが、神州天国昔は軍人今は官僚とも言う。
もちろん先に述べた「内なる平和」は、この人達にのみ当てはまることであって、その外にあるその他国民大勢はその奉仕者として犠牲にされ苦痛を味和されるだけのことだ。廻廊半島の北半部の悪政が、南半部を砲撃したり、列島の一般人を拉致したりして、クニの外に及ぶように、「タコツボ史観」は、常に危機・災厄をもたらす。
「タコツボ史観」は、「ゆめものがたり史観」とも言う。
時間物差を遡及るにつれて、時代は悪くなると言うストーリーだから、昔の人は常に不幸な存在だと決めつける。
昔より現代は恵まれている、未来の子供達は更に幸せだと平板なストーリー展開になる。
科学的当為や合理性に反したストーリーだが、思考しない暗記受身型のいい人、つまり愚民を大量造成する。
このような自ら思考しない人は、より大きなモノに,ただ付き従うお目出度い存在でしかない。
「タコツボ史観」と「内なる平和」希求が習いの国民性は、先の大戦で大いなる不幸を招いた。
だが、その自主性を持たない『空虚』なる生き方は、敗戦と言う大きな困難に出逢っても、めげることも改めることもない。
反省が無いことは、同じ不幸を何度でも繰返すことに繋がる。
歴史に学ばない民族は、愚かな存在である。
その昔、GHQのボス、マッカーサー元帥は、精神年齢12歳と酷評したと言う<文末・注・参照>が、敗戦を終戦と言いくるめられ,すべてを取上げられても何も言わず黙々と経済復興のみに立ち向う姿を見て、ジャーナリスティックに要約したものであろう。あれから、60年経つが、果たして社会的熟成度は、向上して大人になっているであろうか?
今国会のねじれ現象など、大正から昭和の初めにかけて生じた政党対決ばか騒ぎの再現と言えよう。枝葉末節の政権争奪論議に終始している間に、当時の神州天国の住人である軍人は、内なる平和を廻廊半島や中国全土に及ぼそうと画策したのであった。
関東大震災(1923年9月1日。その後防災の日となる)のアト、政党も軍人も含めクニを挙げて本当になすべきことは、災害復旧だったのだが、無責任神州天国では、強い?リーダーに引きづられて領土拡大に走り結果として領土を狭めてしまった。
「タコツボ史観」と「内なる平和」希求の国民感覚では、真のリ−ダーは育たない。
眼の前の国会は、リーダーに相応しくない人ばかりが起しているばか騒ぎでしかない。枝葉末節の下らん論争を大の大人が、真剣に演じている。
ねじれ現象は、国民の選挙投票が招いた一つの結論だが、パーラメント=議会は、本来言論の場である、枝葉末節でしかない互いの立場を超え大事である本来の使命に向けて話合いで以て、少しでも近づくことがリーダーとしてあるべき行動である。
さて、そろそろ筆を置きたい、紅蓮は霧島山系の火山噴火を指す。
関東大震災は、火山噴火を伴わない地震であったが、発現のエネルギーメカニズムにおいて同事である。
筆者は、ほぼ90数年前の災害を生まれてないから知らないが、霧島噴火の映像を見ながら回顧連想たとして、あながち的外れではないだろう。
歴史の愚を繰返さないで欲しいものだ。
〔付け足しの伸び出し〕=注
D.マッカーサー(1880〜1964。対日戦線を指導して勝利したUSA陸軍の元帥、占領時代のGHQを統括する最高司令官)は、1951年時のトルーマン大統領によって、突然解任され帰国。同年5月米上院の軍事・外交合同委員会においての発言した中に、ドイツ45歳、日本12歳の対比表現があった。
サムライ、腹切り、カミカゼなど、あながち誤解とも決めつけられない行過ぎがあったことも事実であり、日本人自身の手による戦後処理が未だ行われていないことからしても、反論の材料が乏しいと言わざるを得ない。
筆者は、少年期こう聞かされて育った。
物量において負けたに過ぎないと、、、、
だが、もの心ついた後にそう思わない自分を発見したのであった。
ワット自身、枝葉末節から抜け出すことの困難を感ずる日々である。