泉流No.4 松外せ

* 松はずせ  ヒゲ剃りたらいに  芹が浮く
〔駄足〕IT革命進行中で身の廻りにユビキタス環境が形成されつつある。
籠り暮らしが常態化すると、何が寝正月なものか?年がら年中
「こもりくの初瀬の・・・・住人」状態だ。
寝正月なる言葉も間もなく死語化するであろうか?
その昔、仕事柄産業分類やら職業分類やらを少し齧ったことがあって、輸送業の隣に通信・情報産業があることに違和感を持ったことを憶い出した。
この数年、身の廻りの変化を眺めた時に、その意味が少し判るようになっている。
居ながらにして生きられることが多くなる時代は、移動を前提とする産業革命後の産業社会を否定的に位置づけることになるであろう。
年賀状もe-メール送信経由を選べば、わざわざポストに投函する手間が要らず「こもりくン」だし、新聞もパソコンにアクセスすることで読めるから、これまた「こもりくン」だ。
つまり、通信経由は確実に輸送ニーズを駆逐することになる。
TV会議やら、子育てママの在宅勤務などSOHOの普及は、出張や通勤地獄を過去のものとして回顧すること、運輸業の廃業を招き寄せる。
ただ、年賀状配達アルバイトや早朝の新聞配達員などの雇用ニーズが細くなるのは、苦学生の懐具合を思うと暗澹とさせるものがある。
よって、環境考現学の見地からすれば、直近約250年ほどの石油漬け浪費の時代で、高速・大量を目指した輸送革命の時代は、負の資産形成に盲動した環境破壊に走った愚かな時代と概括されることになりそうだ。
環境考現学なるコトバがあるかどうかは、いささか自信が無い。
が、環境考古学の方は、文献・書誌学を遥かに凌ぐ規模の有史時間を拡げた点をも含めて、驚ろかされるばかりの成果である。
環境考古学のヒントは、現在読み進みつつある『天皇の世紀大佛次郎著)』第一巻にあった。
かの大先生は、幕末頃のアヘン戦争から筆を起こしているが、開国貿易を当然とする立場で記述していることに唖然としたのであった。
貴重な地球の燃料資源を無駄に燃やして遠国まで生活物資を輸送することに何のプラスの価値があったであろうか?
まして、欧州人の我が儘を積上げるために戦争までしてアジアを支配下に置くことに歴史通史的合理性があると思えない。
我がベジタブル・ガーデナーは、地産地消よりも一層輸送ニーズが小さい生き方だ。
なんせ自産自消<=自家生産自家消費の略>は、我が足のみでの移動だからGDPに全く寄与しない。
経済力を数値データで計る主義もまたもう古く、歴史通史的合理性があるとも思えない。
さて、句の意味である。
外す松とは、正月の松飾りのことである。
いつまでも正月気分と言うわけにはいかない、ところで、俗にいう正月休みと松の内とはどう重なるのか?よく判らない、
今朝ヒゲを剃った。そのタライの中に、何故か芹が一片浮いていたのだ。
芹はもちろんお雑煮の具の一つである。
餅は好きだから、よく食う。
食べたいと思った時に労少なくかつ短い時間でありつけるインスタント性ファーストフードの一つである点も魅力だ。
パートナー不在の時は、インスタント性が何よりも優先順位が高い<芹も餅もスーパー経由だから、化けの皮は既に剥がれている>、、、、