泉流No.3 官製シャット街

* カネザワは  昔トノ藩  いま役所
〔駄足〕 新しい年は、雇われ人生リタイヤの後5度目の初春に当る。
この歳になると,格別新年の抱負も期待も無い。日頃心がけることと言えば、省資源・省エネルギーの生活に徹することくらいだ。
具体的には、なるべく出かけないこと、不必要にクルマに頼らず歩くことなどだ。
消費オンリーの生活者が取組む環境リスポンスとは、ささやかであって消極的姿勢にみられるのであろう。
ただ、行政府や国営放送や地方庁は、生産活発化や観光奨励を通じて雇用機会の増大に躍起のようであるから、ワット流のやり方には鼻も引っかけまい。
エコノミック・ファイナンス・マフィア達は、ひたすら数字を引上げるところの「大きな物語」テリングに邁進して来たが、紙切れ印刷物たる流通紙幣をやたら増発して景気浮揚を目指しても、この20年実体経済を活性化する成果に至ってはいないようだ。
経済モードが大きく変っているのに、旧来スタイルそのままの「大きな物語」時代の経済手法で、バカの一つ覚えのGDP押上施策だ。
これでは、インフレーションが進むだけの子ども騙しであって、老少年齢層など弱者切捨が捗るだけだ。
ヒマラヤ高地のとある国のリーダーが提唱したグランド・ナショナル・ハピネス=GNHを新モードの社会経済指標に据えて、『等身大の大きさの物語』に取組む近未来を拓くべきである。
さて、句の意味だが、そんなわけで我家ではリタイア後、極力外出をそれも多くの人が忙しく動く頃を避けているのだが、昨日已むない事情があってパートナーだけを関東圏に送り出した。
最寄駅から東京まで途中新幹線に乗り継いで半日行程の鉄道に乗るのでJRの駅まで送った。
その時改札口で見た光景と、咄嗟に脳内に浮んだものを定型詩形にどうにか押込んだものだ。
見た光景を散文的一語で要約すれば、「官製シャッター街」とでも言い換えできよう。
それを導くために〔駄足〕の前に、〔余震〕が置かれたようなものだが、この最寄駅の街は、政令指定特別措置による人口大都市ではないが、観光立市を長いこと最大のスローガンとしてきているようだ。
現代ニッポンでは、最も評判がよいとされてきたタイプの「大きな物語」の一つである観光客誘致に拠る地域経済の活性化施策だ。
この施策の最大の欠点は、自力軽視と外部依存の最大化にあるから、長いスパンでは脆く危うくなる愚策でもある。
このような税金を使って役人が考える経済運営が、戦争や宇宙開発と同じ構図であることに気が付いている人が果たして、どれだけいることだろうか?
観光立市の街に最も多くの観光客を運ぶのは、鉄道である。その観光客が降り立つ鉄道改札出口の真正面に位置する、商業集積アーケード・コーナーの入口シャッターが降りて3ヶ月目だと言う。
それ以上のことは判らない、背景にある経営判断などまして判らない。
ただ、これまでも年に数回駅に来る機会があった。買物をしようと歩き廻った記憶では、とにかく後味が良くなかったことを漠然と憶い出す。
地方都市でなくとも人通りの多い駅周辺は、どこでも商業的一等地だが、それだけ土地としての希少性につれた土地所有の利害と買物客の利便との調整は、困難なことであろう。
土地私有の古い既得権的存在は、時代の変化にキャッチアップしにくいものの最たる例の一つである。
この街には、戦時空襲が無かった。
それで観光素材となるような江戸期藩政時代の古い文物が多く残された。
それを地域振興に役立てようとする発想は、リーズナブルな着眼だが、何事にも適性規模とまさにあるべく加減・程度がある。
成功体験に自らが酔ってしまい、ワンパターン指向であったり、本来の主役である定住民の消費行動や日常生活が変質するようでは、行過ぎであり、歪んでいると言わざるを得ない。
古いものが良いのは観る人の立場であって、住む人の立場では必ずしも無いのである。
古いものには良くない面も当然あるのだ。
観光客の来襲も、年に1〜2度程度の祭り見物くらいならば、じつによかろう。
毎週末だと大きな声でなくともどうだろうか?定住者は、観光もの売りや土建屋さんや不動産屋ばかりではないのだから、、、、、
頭文字”カ行”で始まる観光有名都市は、列島各地に片手に余るくらいあって、そこの住民は概ね同じ悩みを抱えているようだ。
事業者でない市民は居るが、消費者でない市民は一人としていないのだから、、、、
かつて城下町だった街が近代化の過程で生き残ることは、とても困難であった。
何故なら街の構造が、排他基準第一に作られていたからだ。
道路も行き止まりやら、鉤の手曲りやら、先細りやらと、格好よく?言うと専守防衛的に都市設計されていたし、通行だけでなく、水道配備や消防防災、伝染病蔓延阻止の面でも、拝外来々の観光指向とは180度ま逆であった。
原野の中にブラジリアを建築することと異なり
既得権を楯に粘る住民を説得し、立退きやらセットバックに漕ぎ着けた行政官庁の苦労は、相当なものであったに違いない。
だが、真の問題は,その達成感に自ら幕を下ろせるかどうかなのだ。
やり過ぎると官製シャッターの街並が拡大し固定するだけである。
駅前シャッターはたかだか3ヶ月目に過ぎない、まだ良い方だ。
まだあった、あの牛若に仕えた武蔵坊に因む交差点がこの町にある。高名な近江町市場に面しているが、そこにある官製シャッター街は、道路拡幅工事完成以来だから、戦後を通じて空き家の街だったと言う友人がいるくらいだ。
ここまで書いてくると何故か最近デビュウ著しくかつ活発なロシアや中国などの経済活動に想いが跳んでしまう。
そもそも経済活動は、民意に拠るべき民間マターの領域である。
権力を笠に着て動く「傾斜方式」や新興レッドの政経一体国策事業など、そもそもマトモで無いから長続きはしないものだ。
昨日観たのに、シャッターの絵柄はわすれた。
目蓋のうちに浮ぶものは、
   江戸期殿様・藩庁。
   明治政変後軍人・武器扱いの財閥。
   敗戦後、役所・建設/不動産/宇宙開発の名の陰に見えるコンピューター付航空軍事産業
などなどであった。
初夢だったかも・・・・