泉流No.2 雷花ショウ

* ごくろうさん 連日連夜の 雷花ショウ
〔駄足〕 大晦日である。
北陸には、この季節「ブリオコシ」なる気象現象が起る。
ブリは鰤で、オコシは起すであろう。上空の大気が猛烈に動き,雷鳴が轟くので、深海に眠っていた(=との噂であって、見て来たわけではないので)鰤が眼を覚まされ、海辺に押寄せるとのことである。
漁業事象と気象現象との間に,格別の因果関係があるかどうかは、大いに疑問だが、この間に人の営みが介在すると、さもありなんと腑に落ちるものがある。
要するに、家庭の主婦は、枕元に居ながら「ブリオコシ」に接して、正月料理のメイン素材としての鰤に想いを巡らすのである。
漁師にとっては、コスト負担無しのセールス・プロパガンダを「ブリオコシ」に代行させているようなものだ。
北陸の冬は、他の地域に劣らず厳しいものがあるが、11月頃に始まるカニ、甘エビ、ブリ、タラと日本海の恵みを享受する時季である。
従って、漁撈活動も寒さの深化に連れて本格化する。
夏の穏やかさで知られる鏡の海も、激浪の冬の日本海は、海難をもたらす危険な海域に変ずる。
今年、脚光を浴びた「海猿」たちの活躍の場は、地味ながらも生死の境界に身を置く厳しい命懸けの舞台であるようだ。
一転こちらの句の意は、安穏の枕に居ながら、彼等の厳しい情況を想像して、『ごくろうさん』の声を心中に発した。である。
雷花ショウは、そのブリオコシのさまを絵画的に描写するための造語だが、この数日は昼と言わず夜と言わず
    いな光、雷鳴、時に地響きが
空中から地上まで溢れ、雷神一家はランボー狼藉の限りを尽す。
今年は北極振動が、例年になく蛇行幅が大揺れし、大陸から張り出す上空の寒気と海上・地上の暖気とのエネルギー交換が活発なのだ、派手に暴れ回っている。
〔余震〕
今年は子だくさんらしい、雷坊やはよく地響きを起し、不審火で失われる建造物が増えているようだ。
この大気中に充満するエネルギー=電界?をうまく取込めれば電力会社は大儲けできるだろう。
雷と言うと、急流に棹さすように、凧を揚げたベンジャミン・フランクリンを憶い出す。
彼の実像は、USAの独立を訴えて欧州世界を駆け巡った外交官であったようだ。
素人受けする米国独立の偉人は、桜の樹を切り倒した初代大統領ワシントンが有名だが、軍事最優先の国情を反映した組織宣伝の成果であろう。
その点、玄人歴史家は、ベンジャミンにより高いランキングと評価を与えるようだ。
我国流で言えば、ベンジャミンの役回りは、縁の下の力持ちといったところであろう。
縁の下と言えば、海上保安の仕事がまさにそれに当る。尖閣諸島海域だけを連想すべきではない。今年は南北の両端で同時に領土領海問題が表面化した。
国内政治と国際外交とは、表と裏であって、タイトに繋がっている。
政権交替が起って1年経過したにもかかわらず、この国のリーダーシップは、旧態依然としており、内外ともに何らの動きが見られない。
第二次世界大戦終結後のミズーリ体制を60年超の長きに亘って引きづり。
ベルリンの壁の崩壊が象徴する東西冷戦体制が消え、エポック事象たるドイツ統一が成って20年超が経過しても。
欧州連合が成立しても。
何も自ら変化しようとしない「眠れるキツネ列島」は、明らかに国際社会からネグレクトされ始めた。
地球儀の中の列島は、陸上面積ランキングにおいて限りなく低位だが、管理経済水域はヒト桁台の上位にある。
それをもって、大国であるとも、大国を目指すべきだとも筆者は思わないが、国民全層が経済にのみ関心を持ち、政治音痴の状態が続くようでは、カルタゴの末路を辿りつつあるように思えてならない。
カネで買った傭兵(=列島キツネの威を支える凶暴で脳足りんのトラ)が、真剣に列島防衛を担ってくれるといつまで信じ続けるつもりなのだろうか?
ミズーリ体制を疑わないアタマ数 X 持続年数が、
   1億2千万人 X 60年超 = 無脳衆愚
   列島人すなわち劣等ビトであってはならない
つまり、ジャパン・ナッシングが、具体化した。
まさに、そのことを物語る厳然たる外交事象がこの2010年に起った。
南の端において中国漁民が、北の端ではロシアの駕篭かき大統領が、この国に対する嘲りを示した。
後世歴史家は、この2010年をジャパン・ナッシング元年と定義することになるであろう。
もう、やせ我慢をしてでも、虎と訣別し、自前の血と汗と涙で、自らの存在を世界に示すべき機<とき>が来ている。
晦日の今日そう思った。
沖縄密約、検察ファッショ、コースト・ガード現場での証拠映像の公開などなど、今年は一語で言えば、
    「リーク」
に始まり終わった年であった。
行政身分上の処分を受けた、リタイアド・コースト・ガードマンは、組織人である前に市民として採るべき、当たり前の行動を果敢に実行した。
筆者は、彼の行動を機に、ジャパン・ナッシングの具体的進行の現場を垣間見、今そこに迫りつつある危惧すべき事態の意味に気が付いた。