生泉流No.1 ケータイ

* 意味不明 道行く人の 怒鳴り声
     ケータイ・ガイジン 狂風みぞれ
[自註]北陸の冬は、風神雷神の独擅場である。
黒く低く隙なく垂れ込めた雲の上は、入道雲が溢れんばかりの密生状態であろうことが容易に想像される。雷鳴と稲妻は、入道なみに恐ろしい。
もう両手の指を折らなくても冬至だが、4時過ぎの町外れの散歩道はもう薄暗い。狂風<きょうふうと読む、狂は強の同意なり>のみぞれ模様に散歩とは、酔狂を突き抜けているから、「たそがれ」などと呼ぶ心境とは程遠い。
メディアによれば、今日また関東地方で意味不明の多数者傷害事件が起きたらしい。秋葉原類似の問題行動が起きるほど、列島は人口の過密と若年化ストレスで外側に弧が大きく貼り出し、時々問題行動が多発する。同じ列島でも弧の内側はその煽りを受けて過疎老齢化・無人化でニュースネタが乏しい。
とまあ、繰り言、由なし事を思いつつ、一応は護身に留意しながら傘を片手に風流ならぬ酔狂の暴雨風に抗って進む。なんと風下に道行く人が居て、こちらに進んでくるではないか。
我が住む地のニュースが如何に貧困かつ陳腐と言え、自らがメディアのネタホトケにもなりがたく、脇道にそれることとした。
怒鳴り声がそうした行動を咄嗟にとらせたようだ。
ところが、意味がとれない言葉だ。何でまた大声を歩きながら発するんだろうか?
ドップラーピークをやり過ごした心の裕りか、横からちらと見た。なんと彼は歩きながらケータイ電話に向って怒鳴っていたのだ。どこの国の言葉かは予想すらつかない。聞いたことの無い類いであった。
今朝は、朝から昼過ぎまで白雲にスカイブルーが覗く空模様であったが、さすが内弧の冬だ、落日を待たずみぞれ狂風となった。
西の方を見る、酔狂人であっても帰路に向うべしと出た。
帰路思った。
外弧に問題行動が多発するのは、個々の若者が病んでいるからではなく、社会全体に病理が及んでいるからであろうと、、、、おそらく雇い主は自らの懐勘定のみで若者を雇い上げ、雇われる若い人を育て上げようとする気持を欠いているのであろう。「かんじょう」とは、懐の方でなく雇われる側の感情をまず第一にすべきであったのだ。未来を担う世代に自己の体験をしっかり継承することが、安心して暮らせる世の中、問題行動の少ない関東圏を築く秘訣なのではなかろうか・・・・・
生泉流<きせんりゅうと読む、17文字の方を泉流。31文字の方はこう呼ぶことにした>の新シリーズを今日から始めることした。
即興かつ実景体験が前提なので、いつまた出来るかが心配、、、、でもないか?