年の暮れ爺泉流

* No.1 名は体を 示さずと吹く アキの風
<駄足> 新シリーズである。爺泉流は声に出して詠んでもらいたい。そう耳には<じじせんりゅう。時事>と聞えるから、下手な解説はしない。
慌ててタイトルネームを捻り出したので、いつもながらの駄作<ださく>だ。
その音の通いに着目した行きがかりで、自註コーナーのタイトルもまた、<だそく>と詠む。
師走とは、マトモぶってあげつらうと旧暦12月の別名だそうだが、泉流<せんりゅうと読む>開創者的解釈では「せわしいのう」の呟きが訛り、師走の漢文字が充てられたに違いない、、、、、
1,500年遡ると無文字社会で孤立した島だから、島の外から渡来した識字者が聞き誤って、妙な字を充てることはままあった。
地名を2文字に固定せよとの御触れ(養老年間か?)が出たのも、行政現場の混乱収拾に主眼があったのであろう。
その聞き間違い,宛て字騒動を咎める事無く、独立した文学流派に仕立て上げた。この古代の先人のユーモア?か文学センス?かに、脱帽するのみである。
1年12ある月を数詞で表す流儀は、世界に広まりつつあると聞くが、おそらくこれこそ日本が発明した世界に通用する数少ない合理度高い文化現象の一つであろう。
フランスやロシアの文学にはとんと縁が無いが、彼等の「月名」を冠した革命の多発に驚きながら、数詞に置換えて翻訳してくれたらしい邦語国産年表出版関係者の
配慮不足には泣かされる・・・・とまあこれも脱線的蛇足かな
ついでながら、「数詞月名」開発の民族的背景を百姓読みするとこうだ。
この国の食糧生産は、ヴェトナム農業のように2年に7回も肥料なし施種のみではコメが穫れず、どのように工夫しても1年に1度きりだ。だからこそ一期一会で暦を頼りに真剣に取組まざるを得ない。太陽の恵みが乏しい北半太平洋岸地域は格別に、取組姿勢が立派だったようだが、そのことを示す物証の一つに『南部○○○こよみ』がある。
○○○は音価3個を示すが、その意味するところは、文字を解さない無識字者を指す。
まあ、文字識別をしない人のことを「眼の前真っ暗」と婉曲に表現しただけで、差別意識はおそらく無かったはずだが、民族固有のユーモアともう一つの能力である「圧縮表現」を使って3つのカナ文字に短縮した途端に差別を疑われる風潮は、文学者の活動領域を狭める面が無い訳ではない。
老人力の一つが視力の低下であり、記憶再現力の低下だが、にもかからわず農業をする意欲は一向に衰えない人物も居たであろう。文字を読まないのも読めないのも結果において大差は無いのだから、、、、、
その者に日常雑貨の絵でもって、月や日が持つ意味を暗に示した出版者の創案に同感したい。
さて、師走。今年も残りの月が無いとなると、俄然あちこちでなんとか大賞がメディアにのぼる。
この世界の”ねんいち”サイクルもまた、画一を至高と考える国民性の発露であって、大勢のおもむかんとする年中行事に竿さす愚はこの際忘れ、一転気を取直して、泉流なる新シリーズを立ち上げることとした。
さて、冒頭の泉流が言わんとする意味は、リアルとバーチャルの乖離が著しいだが、世上騒がす「ウィキリークス」を踏まえている。
ウィキリークスウィキペディアも、邦語版があればだが、何のこだわりも無く読みたいと想う。
ただ、実はすべてのIT利用に当面2つの懸念がある。
懸念の第1は、「ウィキ・・・」のウィキの意味が取れない。手持の辞書類では、まさしく五体不満足状態、、、、
懸念の第2は、中身の信憑性である。
この度のウィキリークスでのUSA外交関連秘密情報の漏洩だけは、ヒラリークリントンの動きから考えて漏れた内部告発の事実性は信頼に足るようだ。ヒラリーは謝罪と関係修復の旅に多忙らしい。
ところで、現在進行中の情報革命ツールの中で流通するデータ一般には、不確かで出鱈目な情報がかなり充満しているようなので、慎重を期す必要を感ずる。
デマゴーグに踊らされ、操られ、その決定の尻拭いのみをさせられるのは、常に筆者然たる愚昧な細民なのだ。人類史でもラジオ放送開始の当初に、この片道垂れ流し・一斉同時の新生通報システムを悪用して権力を握った大悪人が居る。ヒットラーだ。彼は勝手に奪権したのではない、合法的手続きを経て選ばれた正当なリーダーだが、結果として最悪の独裁者だった。その尻拭いもまたドイツの細民がしたのであった
さて、ウィキリークスに戻ろう。
ウィキリークスの創設者が指名手配され、他国で別件逮捕された。そのことに対して行政権力による不当な権力濫用だと非難するもの=確かに欧州世界に対するUSAの影響力は想像以上に強力であるから、欧州の世論やら行政府が対米従属的な動きをするのは、東アジア外交姿勢の弱腰と同列とみてよかろう。
各国のネットワークが、ウィキリークスをネット秩序を乱す存在として締出す動きがある一方、それをリカバリーしてやろうと手を差し伸べる動きもある、それをミラーサイトと呼ぶそうだが、ウィキリークスのデータをネットから消さないようにと支援の手を差し伸べるミラーサイトの数が数千件超と膨大な数だと言う。
諸子多彩・百家争鳴は、IT革命進行中だからこそみられるダイナミズムの沸騰でありリーズナブルな推移であるとしても、2〜3不可解な点もある。
まず、ITネットの公共インフラとしての存在の危うさである。ウィキリークス内部告発サイトだからネット秩序を乱す存在だと誰が決めつけるのか?各運用サイトが勝手に判断して,勝手に締出す措置を採っているとしたら、産業革命後確立した報道の自由つまり国民の知る権利が保障する人権は、来るべきIT社会では失われてしまう懸念がある。
これは、共産党独裁の中国におけるグーグル運用への介入と同じような権力の介入によるネットの統制が、西側世界でも行われる人権侵害上の危険のことだ。
次におかしいと想うのは、ウィキリークス問題を報ずる既存メディアの偏向した姿勢である。
外交の任にあるものは、どこの国であれ民主政体では公務員だが、民主社会では彼等を雇い彼等を動かす「主」は、国民総体である我々であり、彼等が作成したリポートの最終帰属もまた国民総体である我々にある。
租税を負担する国民総体が公務員の主人であるところの、この原理原則を、日本人は忘れてはならない。
不幸にして権力組織の一画からイレギュラーなカタチでその保有する情報がリークされたとしても、公開された内容をもって秩序に叶うかどうかを決定するのは主権者である国民総体だ。権力が一方的に決定するべきではないのだ。
尖閣諸島問題の映像漏洩に関して、リークの事実を申し出た海上保安官が行政官として組織内における行政上の処分を受けるのは、その軽重程度を別にして相当だが、リークしたことが刑事処分の対象つまり社会ルールに対する秩序違反であるかどうかは、国民の付託のもとに世論を通じて決定・支持されるべきである。
この民主制における当たり前の常識を欠く一部メディアが存在し、行政権力の走狗のような態度で報道する姿を見ることに憤りを覚える。
この稿は、12月12日に着手し、29日に追記補充しました。