2011年頭のメッセージ

*恒例の 過ぎた2010年の総括報告である。
冬の終頃に突如夏が来たような、そして異様に暑い夏。
急に思い立って3週間ほど中国を彷徨った。
暑さが過ぎたらすぐに寒くなり、過ぎた年は春と秋の印象が薄かった。
平城遷都1300年かつ日韓併合100年の年であり、東アジア二国を訪ね三国を思う契機であると旅に出たが、中国は3回目、廻廊半島南半はほんの覗き見の1泊3日であった。
帰国報告は既に文章化したので、関心のある方はそちらをどうぞ
さて、テレビドラマ自体あまり見ないが、龍馬と坂の上の雲を何故今ころ放映するんだろうかと想いつつ答を捜した。
そこで、ドラマのメッセージだが、
戦後体制からの脱却を遅まきながら、東アジアに位置する国として考え直し行動を起こす必要がある、と私なりに理解した。
世上に司馬史観なるコトバがあるそうだが、これをまっとうに受止めるのは、そのボリュウムと我の余白時間から無理なので諦めるとして、ただ、竜馬を拾い、松山三兄弟に光を当てた意味を私なりに考えた。
列島四島の中で最小のブロックである四国に着眼したところにこそ、司馬の功績として認められるべきオリジナリティーがあると気付いた。
本州島の西端でも九州島の南端のどちらでもなく、あからさまに元勲輩出ゾーンを避けたところにこそ、陳腐大同に堕ちない大きな意味があったようだ。
約140年前の再興南朝も貸家札の例に漏れず、三代目で破綻し、すべてを投げ出してしまったのだから、多作大河小説として相当の位置づけでもある。
次に地球史規模で俯瞰した場合、東アジアの時空軸はどうであろうか?
ベルリンの壁崩壊を機に誕生した欧州新秩序も既に成人式を済ませ、世界秩序を担う安定有力者として既に盤石な存在である。
それに比べて、東アジア地中海は未だに休戦協定段階でしかなく、ベルリンの壁崩壊の前夜も後夜も無いのだから、ユーラシア大陸の西端と東端とでは、2周回半から3周回ほどの隔差があるように思える。
最後に大国を標榜する国の時空軸だが、、、、
ミズーリ体制を修整するラウンドテーブルネゴシエーションが、その調印式参加メンバー以上の規模をもって未だ行われておらず、北方諸島も南方諸島も返還と呼ぶに程遠く、一国の体面もまた60年超も継続して外国正規軍が駐留する現実だ。
そのいずれをも、三猿主義よろしく見て見ぬ振りするご都合的?複枚舌でごまかし、ひたすら経済問題のみに関心を持ち努力を傾注する国策では、古代カルタゴに限りなく似た命運をあえて望んで辿りつつある奇妙な存在=独立を自ら回避するがごとき=として、外から見えるに違いない。
核への取組も武器輸出問題も、彼と我の間に同語異議とも言うべき認識差があるのは、密約問題一つすらシングルスタンダードクリアランスする姿勢を見せず、うやむやのまま放置しておいたままだ。
事態解決の困難さは、その不可解な国民性にこそ由来するものがあると言わざるを得ない。
さて、来る年明けは、定年退職から五度目、最新の住所地における三度目の年に当る。
よる年波で、定住は理想であることを認めつつ、追いかけるものが已然定まらないことや諸般の事情からハウスレスの漂泊生活は今後も続きそうだ。
居住環境が定まらないことはストレスであるから、余命短薄の瀬戸際を日々生きているようなものだ。
主に心がけることは二つ、ヴェジタブル・ガーデンと文筆である。あえて言えば、創造的活動の部分であろうか?
後者は、このブログにその集積があるから置くとしよう。
前者の方は、その成果が時々に我が臓腑に収まることでもって、これほど判りやすいこと他にない。
その実感の延長として、地球=ガイアの問題や、環境の課題にも関心が及ぶ。
食糧生産の研究現場は、土地無しの方向に進みつつあるようだ。宇宙開発の一環であるかも知れないが、土地を持たない者の一人として、移動生活と農業とが両立する近未来を期待し、頼みとしている。
過ぎた年は、ジェームズ・ラブロックの最近の著書をどうにか読破したが、人は個体数の過剰な存在と定住に拘る我が儘を見直し、生物としての本来あるべき原点の生き方と自然環境の行く末に向って行動すべき時期にあると痛感した。               以上