深解広説俗流事典No.2−2

No.2−2 ごみの続編
ごみの一言で片付けてしまい、その行く末に何らの関心をも持たない都会人のプラグマチックな生き方は、この分業が徹底した経済社会が産み出す部分品人間像に相応しいのかもしれない。
収集されたゴミは、どこへ行くか?
中間段階で燃やされる、その燃え滓所謂灰の類いはどこかの空き地に埋められる、それが答である。
燃やすのは比較的最近に始まった中間処理である。ゴミの嵩<かさ>を減らす為に行われる燃焼は、コスト高な事が最大のネックである。
灰という残滓の行方は、やはり最終的に土の中となる。
ここまで書いてくると、前稿で述べた分別の問題とのずれに気が付く。わざわざ手間ひまかけて分別収集したものを結果的にすべて燃やしてしまうのであれば、燃えるゴミと燃えないゴミと区分する意味は無い。
ルールに縛られてストレスを抱える弱者は、浮ばれない。
ゴミ回収ルールが時と所を問わず、てんでんばらばら、ころころ変るから、一律に論ずることが出来ないと、前稿で述べたが、行政サイドの処理方法が今日では変わってしまっているのに、前面の対市民向けルールの方は、古いスタイルのまま変らずに漫然と残ったままだ。
もちろん弘前市のように、現実の燃焼処理に併せて市民向け分別ルールを取りやめた例もある。
それはそれで、シンプルなゴミルールであるが、眼をもっと遠くに転じて地球環境の問題や化石燃料のほぼ全量を輸入に依存する現状を考えると、見直しの余地大いにあり、全幅の賛同を与えにくいものがある。
燃やすようになった理由は単純である。
それまで営々と続けてきた埋立処理用の空き地が消えたからである、主な理由は最も無難な言訳=もとより国土が狭いからと言いそうだが、実は違う。
戦後の浪費経済への転換が急激に進んだことにある。
高度成長期の前後で、国民の生き方が激変したことによるが第一。
それに続くのは、ダイオキシン汚染を回避しつつ燃焼させる必要が生じたことである。
塵芥埋立処理は、東京湾夢の島に代表されるウオーターフロント開発事業として一時期脚光を浴びたが、さしもの広大な東京湾も有限空間に過ぎない。
お台場ニュウフロンティアの下にも、隣の有明テニスコートの下にも、地方の名だたる○○が丘高級住宅地の下にも、過去のゴミが埋まっている。
埋立が合理的な処理であるとすることには理由らしきものがある。地中分解菌がゴミ処理に何らかの働きかけをする事を体験的に知っている。
ただ科学的な解明は未だに不十分であって、部分知の段階でしかないが、いつの日かダイオキシンの無害化が工業レベルで実施可能となれば、このコスト高の燃焼処理は将来再検討へと進むことであろう。
筆を置くにあたって、プラスチック類の過剰多用の見直しを訴えたい。
杉並区から始まった買物袋持参によるプラスチック袋使用削減キャンペーンは、順調な普及を見ており、その先見性と合理性に脱帽である。
その第2段にそろそろ着手してもらいたいとの希望もある。例えば、食品を載せるプラスチック皿や透明カヴァーのラップ類などの見直しである。これは主婦層の買物スタイルとも関連するので、簡単に進展するとは思えないが、生分解性プラスチックへの切替など段階的にステップアップを図りつつ、国民規模で智慧を集めて根本的打開策を打ち出したいものである。
さて、科学的人類知の最も乏しい領域が、足元の地面のことである。土を英語で言えばsoilだが、同じ綴りで汚物の意味もある。
手持の英和辞典を引くと、見出しが2つに分かれて掲げてあるから語源が互いに別々のようだが、その近似性?が面白いと想うのであった。
ゴミの項は以上です。