深解広説俗流事典No.2−1

No.2-1 ごみ
ごみは、色々の文字があてはめられる。
ゴミ、塵、塵芥、資源素、都市鉱山などだ。
まずゴミだが、カタカナで表記するものは、動物や植物の名、外国由来の文物などである。
であれば、「ゴミ」は貿易立国一本やりの国策を反映した適切な表記と言えよう。
原料を輸入して加工した後、カネになるまともな物は製品として輸出し、残りカスがこの列島に残る、それは則ちゴミでしかない、れっきとした舶来原料だ、、、、、
ここで早速の脱線だが,
その昔ゴミ箱の中に放り込まれた紙袋、その中から顔を出しているネコ(=生きている猫)のコマーシャルを見たことがある。
生きている命に対する冒涜だ。
何かと流行やブームの多い社会だが、インスタント・ペット愛好家に対する戒め映像なのだろうか、、、
ノリのよい粋な生き方を貫くリッチな人種?の心に、戒めは果たして届いたであろうか?おおいに疑わしい。
メディアに左右されやすいインスタント・ブーマーとペットとが、安易に結びつかない工夫が欲しいものだ。その工夫とは、ペットなど生き物を金銭売買の対象とすることを禁止する法律の制定である。
事実そのような規制法令を持つ国が、海外にはあるのだ。
以上が脱線も含めたカナ表示の「ゴミ」の話。
次に、漢字の「塵」と「塵芥」のことだが、どう違うのか違わないのか混乱してきたので、広辞苑を引いた。
ちり、ごみ、くずは、同じものであるらしい、壊れてしまった物とか布などを切出して不要になった端切れなどを指す言葉のようだ。
さてここからである、この「ちり、ごみ、くず」を護美箱に直行させてよいかどうかについてである。
因みに護美箱は”ごみばこ”と発声するが、ここでは全く触れない。ゴミ出しが夫の仕事にふさわしいかどうかだが、これもまた全く触れないことにする。
詳しく取上げるのは、定住民には未知の世界?であるゴミ出し問題だ。
転地、転籍の多い人生を過ぎてきた読者は,ピンと来るテーマと言えよう。
ほぼ言わんとする事は,則ちごみの分別問題である。
資源素と書いてごみと読む姿勢にも通ずる。
何をもって不要とするか、有用物でも素材単位としての大きさがあるので、その判定は意外に難しい問題だ。
物により、人により、地域により、その基準は千差万別である。
役所の決めた基準に従わないゴミ袋は,回収されず放置される例もあり、地域住民同志の諍いの種になる。
千差万別などと言うと、大袈裟な事を言うなと叱られそうだが、実を言うとゴミ捨てに転勤族の多くは相当のストレスを抱えているのだ。
ことゴミに関しての苦労が無い定住都会人種には理解不能の苦労だ。
都会の暮らしは、とても便利で、実にスマートだ。
何故なら眼の前から消えた瞬間をもって全て完了と考える潔さが信条だ。
マンション暮らしに至っては、全てフィービジネスをもって解決可能な状態だ。
見えないもの=それは運ばれて行ったゴミのこと=に関心を持つような半端なヤワ人間は、都会に住む資格は無いと、すっきりした考えが現代の主流であろうか。
蛇口から水、コンセントから電気、ガスもまた同じ、どこから来てどこに行くかなど考えもなしにカネで全て済ませるのが都会センスかな???
地方の戸建て住宅の住人は、地域のゴミ収集所まで運びそして入れる、その瞬間が最大のヤマ場となる。
そこでゴミ出しルールによるチェックが行われる。
ゴミ出しルールの運用は、その土地のヨソモノ観を端的に示している。
土地によって”他所もの”を受入れるか、その逆であるかはゴミ収集トラブルで見通すことができる。
各地の行政サービスによるごみ収集ルールは、地域によりてんでんばらばら、そしてコロコロ変る。
アトからのこのこ踏込む転入者は郷に入ったらゴウに従えだが、どこにも掲載されず公示手続きのないゴミ捨てルールが、横行していることもある。
それを知らない・護らない要注意人物は、時に外国人呼ばわりされる。
一つ最悪の事例を報告しよう、
ゴミ箱に鍵が付いていて、いつも施錠してある例とか。
ごみ立会人が居て臨時の行政官(=最近流行る?裁判員のような存在かな)?となって、持込んだごみ袋を開けさせて中身をチェックする。
それも地域市民による無報酬の輪番制、市民の当番が厳寒の早朝にタチンボして、ごみ収集車が見えなくなるまで立ち尽くす。
怪しげな袋を開けさせて中身をチェックするそうだが、たかがゴミ袋と言っても中身は立派なプライヴァシーである。
人権問題はどうなっているのかと言いたい。
そこは空襲の無かった土地柄だから、未だに明治軍制全体主義の名残、竹箒を構えて空襲防御訓練の時代感覚が生きているのかもしれない。
中には、外国から移住してきたヴィジブル少数派の住民もいるが、隣人が突然に立場を変え?ゴミ警察の手先に変身した姿にアッと驚くのではないだろうか?
あそうそう、序でだから、もう1つ長野の山の上の例
を紹介しよう。
そこのゴミの捨て方は、どこかの秘密警察を想像させるゴミ収集コーランであった。
近くのスーパーで買ってきた行政指定のゴミ袋に、ミミズの這うような模様がプリントされていた。
事情を知らない転入者としては、異星人発想のデザインか、遠い外国のありがたい教典の言葉だろうかと見ていたら、アトでタイランド語であるとのこと、、、、
この高地役人天国の街には、ニュウカマーの外国人にも徹底してゴミ捨てコーランに従わせようとする強い意志がゴミ袋に現れていた。複数の外国文字が、ゴミ袋の表や裏にびっしりと印刷されていた。
山の中と言えども、どこかの空襲竹箒思想よりは、国際的であり、公示の措置など目配りがありそうに思える。
問題はどれだけの外国人が自国の文字を読めるかにある、そこにも識字率の高い日本の延長でモノを考える迂闊さが見えてくる。
そこでの話は、もう一つある。
くだんの行政指定のゴミ袋を使って、お役人が決めた分別ルールに従い、指定の日に所定の場所に置いた。
結果はアウトであった。
ななんと、要件不充足を指摘された。
その指定ゴミ袋に、更にゴミを出した人の名前を書いて貼る必要があったのだ。
その用紙がこれまた行政指定の記入用紙だと言う。
このゴミ袋に貼る指定記入用紙の方は、役場に直接受取りに行けば、コーランの枚数内では無償交付なのだと言うではないか。
スーパーで入手する有償の袋と役所で交付される無償の記名用紙と、、、役人が好む荒唐無稽の二重規制だなと直感した。
そして、この高地役人天国に転入して間もなく、そこからの近い時期の転出を頭に描いた。
スーパーは西の麓に、対する役所は逆方向の東の麓にあったのだ。
有償ゴミ袋の調達は、我が住む山の上から往復70キロ。無償の記名用紙は、正反対に向って往復50キロもある。ガソリンと時間もまたコストのうちである。
定住できる固定資産を持たない者の悲哀であった。
東の麓にも勿論スーパーはある、だが、東の麓に通ずる国道はハイパー・ストレス・ロードで、特に冬期間はオラの運転技量を考慮して自主的利用規制道路と決めてあった。
東京から持出した引越用梱包資材は、その量からしても
その場所のゴミ出しルールになじまなかった。
そこで得た教訓は、次の引越では転入条件にゴミ出しルールの中身とゴミ出しに要するトータルコストを考慮すべしであった。
引越絡みの粗大ゴミ(除く亭主。丈夫かつ留守期待族ではある)捨てには、麓まで運ぶクルマの走行燃料代金も含めると、かなりの負担であった。
仙人修行の目的で山の上に住んだわけではないが、居住人口の少ない高地では、役所サイドにおけるゴミ収集コストもまた割高なのであろう。
二重規制の背景には、ゴミの総量を減らしたいと言う役所サイドの大義名分らしきものがあって、嫌がらせの要素も大きいと想像できるが、市内全域のゴミ処理を市内統一のコーランで貫ぬこうとするかたくなさにこそ、隠された真のネックがあるといえる。
さもなくば、彼等の発想の貧困なり無能ぶりが透けてみえる。
どうして山の上で回収したゴミは,麓に運ばずに山の上で最終処理しないのだろうか?
トータルコストを踏まえた柔軟性の採用は、ゴミを出す方にも回収する側にも共通のことであるのだが、、、
まあ要するに、山の中ではテレビもケータイも殆ど無用の役立たずに化した、画面上のアンテナが立たず圏外と表示されるのであった。
これ等最新のIT機器には、レアアースが多く使われており、用済み後も稀少資源を含むが故に都市鉱山と書いて”ゴミ”と読ませるらしい?
山の上の住いの周囲には、空き地が有余るほどあったが、台所ゴミを地中に捨てる方策は採用しなかった。
平地の場合のように空き地を掘起こして、野菜くずや意図せぬ食べ残しを地中の分解菌の餌にする方法、これは地域先住民であるクマやシカの出没する環境に不適であった。
彼等は、人間の数万倍も鼻が効き、器用な前足を持つからである。
最後に、和英辞典を引いてみた。5個も見出しがある。
1、生ゴミはgarbage<主に米>
2、可燃性廃棄物はrubbish<主に英>
3、紙屑・空き瓶・空き缶類のガラクタはlitter
4、wastesは、生産過程で生ずる残り物とあるから、まあ縫製工場での裁断クズを想像するが、金属プレス行程などで生ずる製品大以下の小片などは回収して溶鉱炉に入れ再び原料に生まれ変わる
5、trashは、ガラクタそのものだが、コンピューター画面の隅の方にあるあの箱の呼び名であるから、不要であっても無体物かイメージ界のつまりモノでない不要な存在を指すのかも、、、
今日はこれまでとします