閑人耄語録ーNo.70

* 雨つづく ヨメナの花も 寒からん
〔自註〕夏と冬の間が短い兆しがあった。
メディアも昨日から列島の上空に寒波が迫りつつあると報じている。数日前から太陽が消え、雨が降っているのか已んでいるのか,室内から窓越しでは判然としない日もあったが、いよいよ白いものが散らつくらしい。
秋の終りから冬の初めにかけての今頃は、格別もの悲しくうら寂しいものがある。
そのような時、心に浮ぶのは何故か子守唄である。
声に出さずあれこれ唱ってみる。
子守唄の心情は、寂しくそして悲しい。
歌詞も音調もしみじみと沈潜する感じ、、、、
ほとんどの子守唄は、子守りによって作られたのであろうか?
子守唄が描き出す空模様は、切絵の田園と重なりがちだが、それは現代的誤解のような気がする。
イメージが固まりボキャ貧一辺倒になっているのは、子守唄の背景に映し出されるテレビ映像から、きっとマイナス?影響を受けているせいだ、、、
子守唄が出来てゆく現場を想像してみる。
時代感想や家庭環境などを考えると、体験とあい通うものが乏しいが、如何ともしがたい。
まあ、努めて想いを廻らす。
想念の中の作詞・作曲家兼歌い手は、親元を離れ、遠い地に行って、子守りとして雇われる独りの少女である。
夕暮れの中、背に赤ん坊を背負う孤独な姿、そしておそらく途方に暮れる小さな胸の塞ぎが産み出した言葉と調べがおのずから口の中に満ちてくる。
数々の子守唄の根底、言葉の奥底には、差別される恵まれない者の辛い心が秘められ、聞くものにも響く。
さて、句に使ったヨメナ、どこにでもあるキク科多年草の草花だが、名前は記憶に乏しい存在かもしれない。
花の姿かたちもまた、印象の乏しい、ありふれたそれである。
ノギクと詠んだ方がよかったかもしれない、、、、
実物を見るには、あの有名な舞台に出かける方が手っとり早いかもしれない。
寅さんのふる里、葛飾柴又を突抜ける。
突き抜けた先の川に渡し舟があった、矢切の渡しと言う。
舟が渡す対岸が、野菊の墓の世界であるらしい。
いつの世も男と女はすれ違う。
男は秋たけなわの頃にやっと嫁でも貰おうかと思い立つ、しかし意中の女は過ぎた春にもう嫁に行ってしまっている。
ヨメナもそうだ、花が咲き終わるのは今頃だが、春のうちに春菜のひとつとして皆のお腹におさまってしまっていることが多い。
万葉の昔の名はウハギだと聞いたことがある、都合3つの名がある植物、、、、
秋の菜の花にふさわしい。