耄想陸行録 第20稿

* 時うつり  東に向って  水かえる
〔自註〕重力に最も正直に従うものは、水である。
地球上の物質を単純化して単体状態を仮定する、温度や圧力の環境差により、三態が考えられる。
水に関しては、常温常圧つまり普通に見られる姿は、液体状態の水だが、これほどストレートに低い所に突進する物質もまた少ない、、、
鉄砲水とか、向うみずとか。後者は水じゃないかも?
それにつけてもスイスやアイスランドにまた行きたいと思う、氷河がある土地だ。
水の固体化した氷河が、また重力に対して正直である。
水ほどの早さはないが、ゆっくり時間をかけて着実に低い所を目指す。
地表に残されたしわ模様を調べると、暖かかったり、寒かったりの地球時間軸での環境を復元できる。
復元の手がかりは、水の重力に従う正直さやどこにもふんだんにある属性に由来する。1本の水系のU字谷は氷河期が形作った地形であり、V字谷は氷河期以後の河川が形成したものだ。
それに流れ下った方向もまた示されている、当たり前のことを殊更述べているのではない。
実を言うと地球時間スケールでは、北海道の昭和新山の例のとおり、火山活動による土地の隆起や陥没がある。
よって、土地の高低は、変動するのだ。
東海地震東南海地震など過去・未来を通じての地震銀座ゾーンは、毎年測量が必要なほどの高低変動がある。
ウェゲナーが1912に提唱した大陸移動説は、戦後復活し今では誰もが知る定説になった。当初30年以上受入れられなかった理由は、ノーヴェル賞受賞マターの時間経過と違う、動態メカニズムを欠く単なる静態観察レバルの科学レポートで、説得性が乏しかったからであろう。
大陸移動説が復活し定着したのは、第2次世界大戦の成果であると思いたい。
つまり、大陸を移動させる動態メカニズムが発見され、パイオニアである彼の業績が再評価されたのだ。
ここで何故戦後なのかと言う設問のもと、いつものプチ脱線と参ろう。
物量に勝る?戦勝国には、戦中に作り過ぎて大量に余った戦略物資があるもの。その一つにUSA海軍の持つ潜水艦がある、気が遠くなるほどの数が残っていた。
殆ど廃棄されたが、時は核爆弾による戦争抑止の冷戦時代のこと、当時最も必要な軍事情報は、地表面のしわと海底面の襞に関するデータであった。
隠密に移動しながら核弾頭を発射するミサイルランチャーを捜索するには、人口移動物体が不在状態つまり素地面の地形データを海底を含む全地球規模で集積し、予め蓄積・配備しておく必要があった。
そこで潜水艦を使用して、当時未知であった海底地図を作成する作業に着手した。
地図を作るための情報は、もちろん座標位置単独データではない、磁気特性などのデータに併せて、想定外の発見があった。
海底に山脈があった。
海底火山の列なりを中央海嶺という。
地表にある山脈と似たようなものが海底にもあった。
ただスケールにおいて比較にならなかった、全球の表面積の3分の2は海だから、当たり前のようだが、海底山脈は切れ目無く繋がり、総延長は6万キロ超であった。次に地磁気とキュリー温度との関係から海底面が移動していることが判明した。その移動速度も判った。
中央海嶺の真下のリソスフィアから、所謂マグマが上昇し、海底面を造り出し、その海底地面が海溝に向って移動すること、そして海溝から再びリソスフィアに下降してゆくメカニズムは、こうして周知の事実となった。ウェゲナーの提唱した学説は、プリュウム・テクトニクスとして追認され定着した。
さて、本筋に戻ろう。
東アジアと南アジアの大河川は、その多くがヒマラヤ山系8千メートルの高峰から流れ出している。
これ等の高山は、火山が造り出した山ではなく、約5千万年前にアフリカ方面もしくは今の南極方面から移動してきたインド亜大陸ユーラシア大陸に乗上げることで形成されたと言う。
ヒョッコリひょうたん島のように、山や川や植動物類を載せたまま大地は、年平均数センチ程度の移動速度で動く。
2つの陸地の合体面では、そこにあった山や川が悠々と変形する、長い時間をかけて低い山が高く、小さい川が大河へと変ってゆく。
黄河も長江も源流は、ヒマラヤ山系に発し東に向う。
ヒマラヤ山系が世界最高の高峰群になったことで、その北の麓の平原は、広大な乾燥地帯=砂漠に変化した。地形が造り出す気候帯の変動である。以前からそこにあった動植物もまた、変わりゆく気候環境に折合いをつけて進化するか滅んでゆくか、いずれかの道を歩む運命を辿る。
人もまた同じで、環境に応じた生き方とグランドルールを身につける。その違いを民族差・人種の差であると決めつけるべきでないと思うが、比べてみると大小は別にして違いはあることもまた事実だ。
ユーラシア大陸の東と西とは、地続きの一つの大地なのに、あまり仲良くできてない。
その背景を考えてみたい、大きい課題だからそうたやすく答らしいものに達するとは思えないが、まあ、おんぼらあと始めよう。
東の横綱黄河と長江に対する西の横綱は=ラインとドナウとしておこう。
同じくヒマラヤ山系に応ずるアルプス山系、これもまず異論はなかろう。
西にあって、東にないものが2つある。
地中海とその対岸にあるアフリカ大陸に当るものが、東には見つからない。
その結論に達する前に、アフリカ大陸の代役候補を仮に選定し、検証してみることとしよう。
想像逞しく2つ選んでみた。
1つはヴェーリング海峡の対岸東方にある北米大陸
もう1つはオセアニアだ。
いずれもユーラシア大陸の最先端の地に立つと視野に入る対岸の風景だ、その点でスエズの対岸にあるアフリカと大差は無い。
特に後者は、タイランドマレーシア地峡の対岸にみえる細長い島々を大陸の延長と考え、マラッカ、ロンボク、トーレスなどの海峡をスエズの河の少し大きめの自然にできたそれと思えばよいのだ。
そこに見えないものならまだしも、現に見えるのだから無いとはしないはず、、、
とまあ、検証はここまで。
どちらもアフリカの代役になる資格を欠いている。どちらも人口集積において見劣りすること著しい。
一方はヴェーリング海峡に達するまでの寒冷帯に、他方はトーレス岬の先の熱暑帯に、といずれも住む人がほとんどおらず、人口がアフリカの足の裏にも達しない。
さて、そろそろ東西の地政学的相違点を整理してみよう。
東に地中海が無く、クロスして逆方向に流れる河川がない。これが西にありながら、東に欠ける基本地形だ。
西の欧州に大河川のクロス・フロウがあるのは、アルプス山脈がスイスの位置にあることに由来する。
アルプス山脈の高さは4千台で、8千台のヒマラヤのほぼ半分だが、高さによる影響の意味はさほどない。
むしろ、スイスが欧州文化圏のほぼど真ん中に位置することが幸いしたように思える。
西に流れ下り北海に注ぐラインと逆方向の東に向い黒海に往きつくドナウの間には、互いを結ぶ運河が幾重にも拓かれ、人と物の流れを現実にスムーズにしている。
このラインとドナウが、作り出す双方向性が、西の文化の柔軟性と懐の深さを育てた。
それに対して、東アジアの河はいずれも東にのみ向かいクロスフロウの要素を欠いている。
では、地中海の有る意味は、何だろうか?
海と陸とは、それぞれ異なる移動手段を必要とする、それはまたそのことに従事する者達に対して異質の才と能とを要求する。その多様さを育てたのが、地中海の存在だと言えよう。
西の大河川のクロスフロウが線的横軸なのに対して、海のクロッシングは、面的縦横なのだ。
十字軍の遠征のような、ある意味不幸な出来事も含めて地中海のもたらしたものは、より多様な徹底した異文化の交流であった。
西にあって、東に無いもの、それは人類史マターの時間軸だが、その根っこは、大陸移動が造り出した環境による所謂地球史レベルにあった。
20回に分けて記述してきた耄想陸行録は、これをもって終ります。