閑人耄語録ーNo.66

* 畑づくり  まずは見廻る  手も肥やし
〔自註〕畠と畑とは、字も意味も違うらしい。そのうちに調べてみたいものだ。
百姓の真似事を始めて、もう4年目だろうか?
この間に転居のため約300キロも移動、生き物は自力で移植したが、標高差が700メーターもあって季節感がずれ、消えてしまった生命もあった。
通算年数を数える意味は、あまりないか?
住む家と畑の距離が、そこそこ離れていることが肝要である。家と同じ敷地内にあると一見理想的であるが、出来不出来が間髪を入れず眼に入る環境は果たしてどうだろうか?
生ものは、どう手を尽してもなるようにしかならぬ
ものである。
環境と農業の関係もまた、奥が深い話題だ。
農業の始まりは、人類史の中でも最もウエートの大きい課題だが、一口で農業は括れない。
宇宙の誕生は、ビッグバン説が優勢のようだが、農業は、よりヴァラエティーであるようだ。
約8千年から1万3千年前頃、チグリス・ユーフラテス河流域で始まったムギ生産は、最古の事例だが、コメは長江流域、ジャガイモは南米アンデス山地などと原産地はそれぞれである。
筆者が畑でやる農業は、野菜栽培つまり葉もの生産だが、これは農業の中では、最も手のかかるもしくはかける所謂過保護農業の最右翼であると考えている。
と言っても、体験的印象でしかなく、科学的背景も説得力も無いのだが、想像で描くモンゴル平原や一瞥したスイスのチーズ生産など遊牧・畜産系農業は、その放任性に根ざす寄生型農業特性において、我が過保護農業から最も遠い最左翼に位置するものであろう。
両端が決ると、頭に浮かぶ果樹栽培やイネ栽培などの座標軸は、その中間のどこかに置かれることになる。
さしずめイネ栽培のほうが畑よりであって、他方の果樹栽培は、より放任性寄生型に近いポジショニングとなるであろう。
但し、条件を一つ思いつくまま付記するが、ここで想い描く農業は、原始時代そのままの粗放農業であって、19世紀以降の近代化学工業以後の農業には全く当てはまらない。
この200〜150年の間に始まった化学肥料と農薬に依存する農業は、人口爆増を招き世界規模の社会緊張をもたらしたばかりか、生態系を構造的に改変させてしまい、生物存続の前提である地球を徹底的に破壊した感がある。
化学肥料が出現する以前は、農業計画の中に休耕地なる不稼働ゾーンがあった。
農地としては放置されて地味の回復をただ待つ、生産に直接は寄与しない時空としての空き地、空き期間があることだ。
このリザーヴを念頭に置く農業経営、つまりスコープ・メリット重視のやり方は、今ではアンデスのジャガイモ生産と焼畑耕作民に生き残っているくらいらしい。
今から振返ると、昔は「ゆとり」があったのだ。
化学肥料の急激な普及とともに、スコープ・メリットは忘れられた。
量的拡大一辺倒と質の面を忘れて効率極大を目指すスケール・メリット・オンリーに傾いた現代農業経営は、公害源の最たるものであるとの見方もある。
さて、今頃粗放農業を持出す意味は何だろうか?
勿論 単なるノスタルジアではなく、環境面からの提言である。
焼畑耕作は、葉もの生産であっても、その実態において。限りなく放任性寄生型に近いタイプの農業であると考えたい。この忘れられようとしている古い農業は、生態学的アプローチをする、最も新しいスタイルの科学的合理性のある農業と位置づけたい。
筆者の乏しい知識によれば、僻村塾のある白山山麓が最近まで焼畑耕作が行われていた地域である。
多々ある農業形態の中で、土地に与える負荷が最も少ない放任性寄生型であるとする理由は、ほとんど全く土地を恒久的に変形させないからだ。
ここで話題は急転する、かつて見た二つの映画「大いなる西部」や「シェーン」である。
両編ともテーマは男達の戦いだが、舞台背景に土地に対する働きかけの差から生じた諍いがある。
「シェーン」の方は、土地を区画し耕すなど大地を改変する耕作農家と土地の区画化や改変を嫌い大地を天賦のものとする遊牧農家との間での大きな世界観の違いによる対立をベースに描いている。
他方の「大いなる西部」は、一つの水源を廻る二人の牛飼い老人=同業かつ隣人同士の確執による対立ストーリーだ。
土地には私有権登記があるが、地下水はどうなのだろうか?
海面や空気や太陽はどうして登記しないのか?
太陽も空気も地表水の源泉となる雨、いずれも天与の自然財として共通の存在でありながら、何故土地だけが登記の対象であり、何故領海だけが主権の対象なのだろうか?
西部劇映画の中にも、環境問題は存在し、人の想定の杜撰さに解決の難しさと究極の解決策があると指摘しているように思えるのだが、、、、、