閑人耄語録ーNo.65

* 見あげれば  そこに昔の  蒼い空
〔自註〕つい昨日まで、暑さの苦を口にしていた。今朝いつものとおり、眼が覚めてから畑に行った。その帰り道、ふと高い方を見上げたら、例の見馴れた蒼い空があった。いつの間にか秋の空になっていたのだった。
住む家の近くに、畑がある暮らしは、農業が再発見に向う昨今、耳あたりよく響くかも知れない。
しかし、そこは人の世のナリワイ<生業>であるから、よいことづくめではない。他人様の話を耳にした時、しばらく経つと耳障りの良くない部分が早く抜け落ちるように、自己都合の篩<ふるい>にかかって残ったパーツのみが、思い出の中の秋空になるのであろう。
少し遡ると、今年の異常に暑い夏の太陽の下の苦戦があった。
動けない野菜のための水やり、酷暑をまともに受留めて急膨張し活発化した虫、虫、そして虫、、、、
畑仕事ほどワリに合わない事は無い。それはとうに判っていたことだ。だから、自家消費専用農家などと耳慣れない造語を使って、食料費に占めるシェアが1桁台でしかないことを偲ばせようとしているのだが、大地や太陽は、プロだろうがアマだろうがこっちの志や姿勢にかかわらず容赦がない。
畑の水やりが水道の蛇口ひねりでないことは言うまでもない。かと言って、アフリカの水汲みほど重労働でもない。
片道50歩ほど行って、屈んで両手のバケツで用水から水を汲み、戻ってジョウロに移し替えて、野菜にやる、ただそれだけのことだ。
用水の水量は、毎日のように上下する。歩行距離を増やさないため(つまり効率アップのこと)には、低い水嵩からバケツに汲上げる道具が必要なのだ。
とまあ、ワリに合わないつまらない話は、果てがない。
朝日が高くなり暑さが増す8時前には、帰宅の途につくようにしても、シャワーと下着の洗濯は毎日セットサービスなのだった。
そして、暑い夏は、飛ぶ虫のためのバブル景気ボーナスのようなものらしい。
大切に育てている葉もの野菜が、2〜3日のうちに丸坊主にされてしまう。群がる毛虫が犯人だ。
親である蛾や蝶は、陽のある日中に葉っぱの裏に卵を産みつけてゆくらしい。
やがて葉っぱに穴があき、毛虫だらけになり、気づく頃にはすべてがパーだ。
野菜を守るためとは言え、カンカン照りのもとで、羽の無い百姓が立ち尽くす図はありえない。暑さを避けて朝と晩の出動となるが、両手一杯拡げた僅かな範囲の中に20匹くらいの毛虫を見つけ出し、黙々と捻り潰す。生命のやり取りだが、已むをえない。
1日に朝晩2回、連日続く、皆勤はむずかしい。
毛虫死刑執行人にも、たまに祟りがある。
ある日突然、皮膚が発赤しかゆみに数日悩まされる。作業着を脱ぐ時に、どこかに付いていた毛が、肌に触れたらしい、これもまたワリに合わないつまらない話ではある。
彼等にとってのボーナスシーズンもまた終が来る。朝晩の冷えが活発度を削ぐのであろう、だが、自然とともにある百姓暮らしは、いつもバーターだ。
虫の衰え、それはまた同時に、野菜の生長が眼に見えて衰える夏の陽の旅立ちでもあるのだ。