閑人耄語録ーNo.64

* 丈たかし  はらいて立つか  オミナエシ
〔自註〕オミナエシが、山野の中にすっくと立ち、あたりをはらうように咲いている。
秋の七草の一つに数えられるポピュラーな花だ。
春ならまだしも、夏が過ぎたこの頃に黄色い花を咲かせるとは、主張を貫ぬこうとするかのようで何とも古典的な気風が伺われる。
丈は、身の丈を縮めた言い方であるが、この国の最も古い宗教儀式を残し伝える沖縄は、芸能の島ともいう。
芸能は本来のありようが、先祖であるカミを招き、子孫の繁栄ぶりを報告する儀式から転化したものであろう。
つまり、先祖祀り=祭りのことだが、一族の中の若者から最も姿かたちの優れたものを選び出して、音曲に合わせて一族の故事来歴を舞わせる事。それが先祖に向けて行う報告のメイン・エヴェントであった。
姿かたちの優れたものの第一の要素として、身の丈が高いことがあった。何故なら群衆の中にあっても隠れようもない背丈のことを、頭角を著すと言うくらいだ。
漢語の『美』は、古来日本語の「うつくしい」に当るが、文字の構成に『大』の字が含まれていることからも容易に納得できる。もう一つの構成要素である「ヒツジ」のほうは、生物種として日本に持込まれなかったか、結果としてこの国に定着しなかったようだ。
ただ、芸能と言うと専門家集団による商業化・公演化がまず連想されるように後世変化した。
しかし先述したとおり、古態が報告エヴェントである以上、一族の中の若者であること、しかもメンバーを毎年替えることが重要な要素であった。
それは、子孫が裾広がりであって、後継者が豊富である事を、具体的に示す意味があったからである。
よって、後世の専門組織による事業化は、堕落とまでは言わないが、変形であることを確認しておきたい。
オミナエシは、女郎花とも表記される。
女郎と書いて、じょうろうとも読む。こちらの表音の方が、より古態であり、かつ本来の意味に近い。つまり、じょうろうを漢字に置換えると上臈となる。
広辞苑を引用する。
身分や地位が高いこと、また、その人。とあり、次いで、貴公子、貴婦人とあるから、、、、男女の別が無いようである。よって、女郎と書くことのほうが、むしろ有害的限定表記にあたることになる。
たしかに、多くの神事である祭りにおいて奉納される舞いは、男性を必ずしも排除していないようだ。
最後に、中の句の”はらう”は、あたりをはらう”丈高さ”と”気高さ”であり、宗教儀式である祓うに通ずる意である。