閑人耄語録ーNo.59

* 百姓つぶすにゃ なんにもいらぬ 真夏日10日で
ノイローゼ 雨無し20日で 夜逃げする
〔自註〕7・7・7・5・7・5<字余り容赦>となるが、果たしてそのような詩の型が、あったかどうか記憶に無い。とりあえず、平成今様<へいせい・いまよう>とでもしておこうか、、、、
今朝、ごく短い時間だったが、雨に振られた。今朝の水やり作業を見送った直後だけに、待望の意味も含めて二重に嬉しかった。
先月12日に、日本海海上を台風が北上した時以来の雨だから、連続20日以上、朝の水やりを続けたわけだ。
生き物との付合い=栽培型農業は、簡単でそして難しいと思う。水が涸れると生き物は枯れる。逝った生命は、当たり前のことだが、二度と生き返らない。だから、水やりを毎日すればよいかとなると、これまたブーだ。
やり過ぎは根腐れを招くのだ。
地中の根は見えない、そこで地表の土色や地割れの状態から、当りをつけるのだが、口で言うほど、正答を導き出せる力は備わってない。
一口で括れば農業だが、畠と田と、そして牧畜農業とでは、おそらく大違いのような気がする。畠は過保護に限りなく近く、牧畜は寄生・放任型で、田は、この二つの端の中間のどこかに位置するのではなかろうか?この場合の視点は、従事する百姓側に立ってのそれだが、為政者側の視点は、ダムなどの大型自然破壊を夢見たりして、かなり異なるのであろうか?
さて、日本列島の8月は、気象観測史上かつてないほど猛暑が続いているそうだが、足元9月になっても依然その状態は続いている。当面の打開策も、次善策も見つからない事が、一番の悩みかも知れない。