閑人耄語録ーNo.58

* 水散らす  周りに褒美の  虹が立つ
〔自註〕間もなく8月も終る、気温が下がらない。生き物と共にある自家消費専業農家は、連日の水やりに疲れてしまい、どうにかしてこの苦役から逃れようと思い悩んでいる。自己破産なる都合の良い制度は、農業には無いのだ。
いつでも投げ出すことの出来る、気楽な仕事が農業の良さでもある。誰にも迷惑が及ぶ事は無い。水やりを投げ出すとどうなるか?ごく簡単だ。太陽の勝ち、百姓の負けとなるだけのことだ。
それで、生き物である野菜の親株はどうなるか?
生き物は、工業の機械と違い、はなから寿命がある。無限に水をやリ続けても、ある時点でナスもキュウリも出来ない日が来る。待望?の秋が来れば、枯れる。生き物の寿命は、この地球に組込まれた天然の摂理に従う、だから太陽に負けても百姓は落込むことがない。
そう言えば、孫旋風を連れてきたのは、この間の台風だった。日本海を通るコースは、列島を西から襲う暴風を伴うことが多いから、最悪のコースと懸念されたが、当地に限れば、さほどの被害もなく、心の奥深くで期待した慈雨もほとんど無かった。
あれからもう2週間程経過して、雨らしい雨はまったく無い。困ったものだ。
句にある散水は、家の周囲の道路に撒くもの、昔からある熱夏対策だ。幸い家の前には、約400年前に先人が構築した用水が通っている。長柄の柄杓で汲上げ、力の及ぶ限り広く遠くに届けんとばかりに放り出す。
たまたま、朝日が背中に入ると、視界の中に一瞬虹が現れる。気が付いた頃にたちまち消えてしまう。
贅沢な?プライベート・レインボウだ。
蛇足の1。七色の虹なる、気の利いた?コトバがあるが、光の中にある色の数を数え上げることは、無駄の一つ。答は無限だからだ。コトバが足りなくなる前に7で留めたのであって、7つ以上は無いのだと真に受けられると危ない。
文学的にイエスであっても、サイエンス的にはNOだ。ここで、ふとニュウトンの仕事を憶い出した。光の中から色を引き出して、物理の原型を最初に構築した人ではなかったか?
蛇足の2。用水は、家の前、朝日の昇る方向にある。
加賀平野にある用水を、現在の姿に整備したのは、前田家第3代の藩主であると言われている。その以前からこの地は、上方向けの穀倉地帯であった。平城平安の頃から荘園が置かれたそうだから、コメの生産量を上回るほどの人口過密になったことは一度もないようだ。
縮めて言えば、有史以来の過疎地帯だが、来るべき食糧不足時代を考えると、未来は相対的に明るいのかも知れない。
加賀藩政初期の農政は、生産性向上の成果を得て、この国の農政史において有名な業績だそうだが、では更に遡ってその前代は、どんな状況であったのだろうか?と、つい余計なことを思う。
上古の時代からであろうか?朝日長者なる民間伝承が、各地に残るそうだが、当地はどうであろうか?野々市町に芋掘り藤五郎<イモほりトウゴロウ>なる黄金生産民話はあるらしいが、主役の名前がイモでは、コメよりも古いことになるか?
コメが列島に伝来した頃の始めは、現在の加賀平野の大部分は未だ海中に没していた可能性が高い。
そうなれば、朝日長者とは縁遠くなり、つかの間に出て消える朝日の中に虹見る長者考現学となり、じつに儚い、、、、