耄想陸行録 第12稿

* 孔子廟  眼には映らぬ  ピラミッド
〔自註〕孔子廟は、山東省曲阜にある。中華思想圏には、千年王国なる一つの理想的状況があると言うが、約2,500年前に生まれそして生育の地で安らかに眠ったであろう彼の住居などが、彼の子孫によって祀られているという単純な事実は、東洋の価値としては高く評価されてよい。
だが、単に家系が長く続いているだけでは、ピラミッドと並ぶほどの話題性・広報力はない。もちろん、ワットは、エジプトにもメキシコや南米にも行った事が無いから、ピラミッドを見ずにピラミッドを語る講釈師になる予定はない。
しかし、ピラミッドと呼ばないだけで、似たような人類居住の痕跡は、ほぼ世界中にある。神社、教会、古墳、土饅頭などがそれだ。ただ、ワット流では、動かないものを関心の対象としない傾向があって、墓地系について多くを語らない。
訪ねた孔子廟では、構造建築物としてピラミッドまがいの物は、認められなかったから、「眼には映らぬピラミッド」としたが、観光客の多さとその人種的多様性からピラミッド並であると感じるものがあった。
この度の大陸の旅では、結果として宗教関連施設を幾つか訪ねている。信仰者の数をもって世界四大などというそうだが、そのうちの3つを訪ねた。
東洋だけにキリスト・ムスリムの1系統を略したが、羅列すると、道教の泰山<タイシャン>、仏教の龍門石窟(りゅうもんせっくつ)、儒教孔子廟(こうしびょう)だ。
祖先を祀ることを除いて積極的に接近した体験を持たないので、うまく論ずることができないが、この3つの東洋由来思想は、相互に重なる部分が多いと思っている。
それぞれのタイトルが示す程に、差異は無いように思える。偶像の名称や宗教儀礼の作法などは一見異なるが、その趣旨なり、祀る意味などを探ると大同小異なのではなかろうか?
いずれにも「天・地・人」界があり、神仙・山岳信仰が伴っていて、たがいの境界はあいまいと思えるのだ。
世界宗教ともなると、信仰する側の願いに応じて柔軟に変容する面もあろうが、生・老・病・死など個人的苦難を正面事業とする密教系ブッディズムや道教
対して為政者の存在を擁護し、治世の進むべき方向を指し示すことを正面事業とする顕教系ブッディズムや儒教。など、少しニュアンスの違いはありそう。
とまあ、語る資格が無い者が長広舌すると、馬脚は自ずと現れるものらしい。国語なる妙なタイトルの教科に漢文なるものがあったと記憶する。その程度のウル覚えを土台にして、先稿で、「小国寡民」(しょうこくかみん)なる故事成語を述べたが、これはエラーであった。出典は『老子』であることが判明した。
・・・大修館刊行ー故事成語名言大辞典ー586頁・・

故事成語名言大辞典

故事成語名言大辞典

なお、本稿でこのように記述したので、先槁を訂正することはしません。エラーもまた人事なりです。
この辞書の抜粋要約は、タイトルどおり名言レベルと言えよう、その中の2〜3を紹介してみよう。
 ○ 小国寡民では、抜群の偉才が居たとしてもこれを用いない、、、
   これはまるで孔子の生涯を象徴するようだ。
   孔子は治国の道を説いて十数年諸国を遊歴したが、どこの王からも用いられず、著述と後継者育成とに専念する生涯であったそうだ。
   孔子が為政実務の実績がなく、しかもその言行録『論語」のみ残ったことが、後世に思想家として燦然と輝やく契機となったのだと思いたい。
   バイブル・テラーとして後世名を成したことで、孔子の子孫は大思想家の末裔である事実のみをもって2,500年もの長い間、歴代の皇帝から格別の 優遇を受けてきた。
   インヴィジブル・ピラミッドとする由縁だ
 ○ 小国寡民の住民は、船や車があっても商売に利用しようとしない、、、
   ワットは、先の稿で何度か高速道路の必要性を疑い、その前提たる輸送の必然について否定的見解を述べてきた。
この度それがワット・オリジナルの偏見でなかったことに喜び、先行同調者が見つかって安堵著しい。
   コロンブス以後の世界経済システムは、より遠く、より早く運ぶことで競争相手を押しつぶすべく”ムリ”と”無駄”をむやみに推進・拡大してきた。
   それが歴史のプラス符合に叶う行動であると多くの人が好ましい旨の評価をしてきたが、その短絡思考と愚行とが地球環境を危うくする程の人口爆増とエネルギー浪費を招いていると、ワットは言う。
 ○ 小国寡民は、その土地で産するもので、衣食住を賄うことを旨としている、、、
   フットマイレージやらフェアートレードなど、
今日の気候変動に襲われて後、始めて資本主義市場原理体制の矛盾に光が当てられ、見直し提唱されて来つつある未来キャンペーンのほとんどが、先駆例として老子によって示されていたのだ。
   局地産直、一里四方、身土不二と同事であり、医食同源もまた近縁にある生活信条であるようだ。
以上が、老子が思い描いた理想社会=小国寡民の概略だが、老子孔子とほぼ同時代の思想家であるという。
大陸の来し方を振返ったとき、もっとも精神的に充実し高邁な思想が論じられたピークの時期であったかもしれない。
後世の桃源郷〜シャングリラなどの展開は、この時期の諸子百家を踏まえたといえよう。
しかし、人類史を回顧したとき、いつの時代も為政者達は、理想像とは正反対の方向つまり”力の結集による大国指向”へ邁進した。
例えば、中世ドイツだが、彼等は終始神聖ローマ帝国なる称号に拘り続けた。つまり足元を見ようとせず、遠い時空のローマ=強い武力で周辺弱小国を圧倒する古代帝国の継承を望み続けたのである。
コロンブスに始まり、スペインから大英帝国へと引継がれた大航海時代と、その精神を商業中心から工業中心に移しつつ引継いだ産業革命もまた、中核ゾーンと周辺ゾーンとを設定した。
ゾーン隔差を設定する狙いは、収奪を永続化するためである、世界経済システムという。
緊張と虚栄が内在する反道徳のシステムであった。
孔子廟では、意外に高額な入場料を支払った。
勿論高齢者割引の適用を受けるべく、包み隠さざる白髪に加えてパスポートを提示したが、アニメ映画「借り暮らしのアリエッティ」ロードショウ高齢観覧料と同額程度の負担を求められ驚いた。
パスポートを提示させるところが、赤色朝イデオロギーが求める厳格さなのか、人口過剰を踏まえての過剰雇用制が招く煩瑣なのか、そのいずれでもあるようだが、大英博物館のようにコモン・サービスとして無償解放する見識が欲しいものだ。
石と彫刻された字体と墓に格別の興味がある人は、有償高額にめげず、参観しておくべきであろう。しかし、この3つはいずれも動かないから困る。
豪壮な石碑だろう、どうだとばかりに、飽く程見せられ。
無償ならばまだしも、、、歴代の皇帝が足を運んでこれら石碑の建造を命じたなどと言われると、その信憑性に疑いが募る。
虎は死して皮を、人は名を残すなるコトバを憶い出させる石碑群だが、動かない石たちからは、何の働らきかけも無かった。
今日はこれまでとします。