閑人耄語録ーNo.57

* 虫の音で  枕と親しむ  ふりゅう人
〔自註〕老いとともに失われるのか?深まる老人力なのか?柔軟や忍耐などとの距離が増してゆくようだ。立秋はとうに過ぎたが、夏の暑さはいっこうに収まる気配がない。
例年にない暑さとかで、大都市は気候変動による大気の高温化にヒートアイランド現象が加わって、夜間の熱中症発症者が増加しているそうだ。
旧盆が過ぎれば、高校野球が終われば、と、、、夏の終わりを願って、着手を先延ばしして来た咎が一挙に噴き出し始めた。
甲子園の熱闘は国を挙げての年中行事みたいな存在だが、熱中症まがいの過熱報道姿勢は如何なものであろうか?。
日頃の癖かまずラジオを点け、消して次に時計代わりのテレビを点ける、官放を選局しても民放に廻しても、どこの局からもドンチャン付きの実況中継一辺倒を聞かされ逃げ場がない。
メディアのワンパターンは、おそらく昭和改元の当初から今日まで続く金太郎飴体質の反映かも?
せいぜい65年前に戦没者慰霊の式典中継が、ワンパターン・ニュウメニュウとして追加されたくらいだろう、、、
野球と鳴り物とがどう繋がるのか、歴史的経緯は不明だが、ブブセラの一斉奏鳴と大差無い。
二者対決の単純図式とかスポーツを戦いに置換えて燃え上がる戦闘好き体質、これも国民性なんだろうが、、、視聴者の中には、静かな平和愛好家もいて、受信料もまたキチンと払っているのだ。
そのような少数者の”静聴権”に対する配慮があってもよいのではないか、
官放受信料なる第4か5番目の酷税を徴収し、有限の国民資産である電波帯を贅沢に複数も抑えながら、一つのコンテンツを使い回しする再放送・再放映オンパレードでは、年金の二番煎じ、国営詐欺まがいの行為だ。
ちょっと待て、上に述べた戦闘好き体質と野球がどう繋がるんか?
お叱りごもっとも、エヴィデンスを掲げておきます。そう「よめうりキョジン軍」。正式名称が軍なんです、、、それ証拠。
蛇足でもう一つ、「いしはら軍団」?
このディヴィジョン、ベースボールしたかあ?
石があるとスライディングは危険かな?
因みに、ベースボールを野球と訳したのは、俳人で高名な正岡子規らしい。彼はその世界の紹介者、先駆者でもあるようだ。
坂の上に雲があったかどうかは、大いに疑わしく、すべからく「球遊び」は、野か原でやるべし。傾斜があってはおおいに困るのだ。
その意味でも”坂の上の雲”は、ごサンケイ<誤算系>方向の史観かも、、、、全国レベルでは”鹿討”か”おいうち”状態の風前の灯火から昼行灯化した活字メディア。
”ジヘイ隊”基地周辺で、ほそぼそと読まれ、どうにか命脈を保っているのだとか。
さて、新聞配達は、早朝4時台にバタバタと、エンジン音で存在感を誇示して通り過ぎる。
朝晩の涼しさはサッパリだが、虫の音は聞える。
枕と離別するタイミングを計っている。
では、「ふりゅう」たあ何だ?
意味を示すにゃ、漢字表記だ。日本人は、この高度な言語センス=2つの言語システムパターンを頭の中で無意識に数十回シャッフルさせる、これを1,500年程
の間、誰からも習わず教えられることなく身に付けている。
文字表記は実は一つに絞り切れないので、思いつくままを順に併記する。
1、不立=立上がるもよし、このままもよしと思いな  がら、枕に頭を括り付けている心裏状態。
2、浮立=はっきりとしない、ふらふら人間の生き方
  生きざま。確信的ホウムレス心情、詰めが甘いか
  詰めを怠る性癖のさま。
  イメージとして、去来するアニメに「はぐれ雲」
  とかなんとかが浮ぶ、、、もし、現在進行中の   テーマであったら、ご容赦ねがいたい、勘違いの  段多々あるに違いない。
  夕暮れの空の端っこの方に、端切れ、つまり裁断  により不要となった小片の布切れみたいな雲が浮  いている。位置といい形といい誰も気に留めない
  路傍の石か、浜の真砂か、まあそのような存在の
  雲もあるらしい、、、、
3、風流=盆の8月は、もうそこに雪がちらついてい  る光景を思い描きつつ、先祖と交流する時季だ。  別稿で西馬音内の盆踊りについて触れたから繰返  すことはしないが、九州から東北まで共通した祭  りへの熱い思い入れがみられる。アリではなくキ  リギリスのように祭りにのめり込む心情。
  資産を焼尽してしまう心意気のようなものもまた
  風流のうちである。
さて、明るくなったら起上がるとしよう。
胸の内なる散歩は、もうかなり先まで見透している。
街路樹の葉の色が、季節を先取りして、バラエティーを増やし、色の濃さを増している。
何故か、気温だけが高止まりだ。