耄想陸行録 第8稿

* 橇に鈴?  山はいずこか  星もない
〔自註〕旅は思わぬことに出くわすものだ。予習も事前学習もしないのがワット流だ。内外を問わずである。
国内は、コトバのバリアーが無いから未だ良い。と言っても、そのバリアーは専ら眼と耳のこと、頭に行く回路が錆ついているから少々の行き違いやら、勘違いは気にしない。口のバリアーは、訛りは故郷(くに)の手形というから、相手に意味が届けば、それで良しとする。
その点海外は、もろもろの障害がある。第1稿で、累計渡航先数が1クォーターを越えたと述べたが、これは33年かかっての結果である。サラリーマン暮らしとの折合いをつけながらだから、それが一番の障害であったと記憶する。
業務出張は、2人以上の団を編成して、日本語を話す現地ガイドを雇うので、印象として残るものは、整理された世界史の授業のようでもある。
私的な海外渡航は、勤務先の休暇制度に従いマックス1週間以内での往復であった。こっちの方は、パック利用による家族での旅だが、幸い一度も延着トラブルに遭ったことはない。主な狙いは、火山と氷河の下見だから、カタコトの英語を操って、どうにか我慢。パック旅行は、エイジェントなり現地ガイドなりのアシストが大きい。
その意味で、この度の大陸の旅は3度目の入国だが、過去2回とは様変わりだ。日本語が通ずる可能性はおろか、カタコトのワット英語すらサルベージしてもらえそうな余地もまた無かった。コトバ絡みで耳と口を全く使えず・使わずのバリアフル・ツアーであった。五感中二感を失う三感ボディーコンタクト頼り、どうにか旅を続けられたのは、現地で合流離散した大先達ー朱鷺先仗の力に拠るものが大きい。
現地語習得についてのワットの逃げ口上は、予習も事前学習もしないワット流の範疇だ。もちろん還暦過ぎていまさら新しい外国語を追いかけるほど耳は若くないのも事実。
ワットは、生来コトバそのものに関心を持った事がない、言語センスに恵まれない育ちであった。むしろ話し言葉は、差別のための最も鋭い道具であると肝に銘じている。
戦前・戦後、国際外交機関で要職を歴任した二人の東北人がいる。前者は五千円札になった新渡戸稲造、後者は帰国後都県令選出ならなかったA氏だ。国連では気にもしなかった”訛り<なまり>”が国内では壁になった可能性がある。
列島には、「地方分権・田舎者・なまりはクニの手形・地方人」なる、死語になってない生きたコトバが
ある。その言語的文化的源流はおそらく中華思想に由来するものがあろう。この差別性の強いコトバを思想的偏りがより少ないコトバに置換える努力として、適正なコトバを使うことに対する”こだわり”キャンペーンが考えられる。地方分権に代えて地域主権を。以下
ふるさとのひと・ふるさと語・地域人を使ってはどうだろうか?
ワットもまた、小学校で標準日本語を習得させられ、これを最初の外国語と感じた。6歳から10歳の間に「コトバの障壁がある」この列島社会に生まれたことを知った。則ち、当人が関知することなく生まれ育ったこの列島には、枝葉末節に属する「ささいな差異」を針小棒大に抉りだし、差別のタネにする国民感情が根強いことを発見した。
もっとも端的に露呈する現象が、義務教育現場における”いじめ”だが、それは平成の時代になって始めて発見された国民性ではなく、明治の基本政策である「文明開化」策に、組込まれていた自己否定・国風卑下のイデオロギーから必然的に滲み出た後天的国民性なのだ。
ワットは東北に生まれ育ったことで、謂れの無い差別を背負わされ、耳と耳の間にある器官に不自由を感じたまま半生をすごして来た。
さて、句の意だが、脱線風に述べたようにコトバに障壁を持つ者の専ら視力観察に頼る旅であるから、内容に偏りがあるのは致し方ない。
定型詩に使った言葉は、東海林太郎<1898〜1972。秋田市生まれ、早稲田大卒、満州鉄道社員を経て歌手へ>が唱った「国境の町」をベースにした。
四界「海」の自然障壁に囲まれ、地続きの「国境」を持たず、その故に正常な異文化接触マナーを育まずに来た列島人の一人であるワットが、なぜ唐突に橇(そり)を憶い出したのだろうか?
なんと大陸では、新幹線や地下鉄の駅にも高速バスのターミナルにも、まめにセキュリティチェックがあった。列島では、飛行場にしかないあの透視装置が、あっちにもこっちにもまたかよと言うくらいにあって、その都度2つのリュックサックを降ろしたりまた担いだり、多忙であった。
橇は、自動車の現代で冬のメルヘンを想い起こさせるロマンチックな素材だが、筆者は、大陸のあちこちで遭遇したセキュリティーチェック装置が橇に見えた。
「国境の町」における橇は、国境感の違いを端的に示している。地続きでない列島に入国するには、橇に代えて船が要る。国力不相応の領土膨張策が水泡に帰した戦後、直立不動の立ち姿で唱う彼の心中に去来するものは、実質的に属国扱いしていた満州国境であったであろう。
セキュリティーチェックは、第1義的にはテロ対策だが、権力の存在を誇示するもう一つの大きな意義がある。その点で、警察のパトロールや大型ダム建設事業などと同じ機能を果たすひとつのモウドンドンを太祖として発足し、未だ100年に満たないデモンストレーター装置でもある。
モウドンドンを太祖として発足して以来、未だ100年に満たない赤色朝だが、近時の膨張策は、チベットから航空母艦増強へと旺盛だ。かつての国境を遥かに越えて、チベットの更に西の方を指向していることを、あの橇形の装置が示しているようでもあった。
橇形装置に鈴が付いているかどうかは知らない、仮にあっても、鈴のような悠長な響きはそぐわないであろう。国境の上空も黒雲ばかり渦巻いていて、山も星も見えないことだろう。
今日はこれまでとします。