第52句 月は高雄 おいに追われし 飛ぶホタル

〔自註〕 ホタルは舞台俳優だ。
多くの人が、列島最果ての島に、そこはもうほとんど台湾らしいが、「足」下(あしもと)の不自由と、高額な「お足」の支出をも厭わず出かけると聞く。
モリシゲやモリミツに並ぶ名優で、名前もこなたがヘイケ、方やゲンジと言うくらい名門名優揃いである。
それに比べて、我家から1km以内の近さで、ささやかなあの光を見たのだから、、、筆者の気力・体力にふさわしい近況報告と言うべきかも知れない、しかも暑中見舞いの真似事を兼ねるが、時季過早かも?
名優の出番も、概ね決っているらしく、19時半頃から約100分程度とか、、、上空に眼を転ずると、梅雨空の薄い雲ごしにかすかに月が見えた、高尾山の峰とほぼ同じ高さ、きっと夜半には西の海に隠れるであろうの風情を見せて。
因みに高尾山は、戦国の頃、加賀守護一族の富樫氏が、一向一揆に囲まれて落命し、以後暫くの間、守護不在の時代が続くきっかけとなった山だそうだが、その後の不動産開発で、今や中腹付近にも住居が見える。
おいに追われては、もちろん時についたり消えたりしながら飛ぶ光のさまなのだが、ヘイケやゲンジの連想だから、追いつ追われが実感だ。
ただ、おいつと打込んだら「塢いつ」なる文字が画面に出て来た。勿論読めないし意味も全く駄目、漢和辞典によれば、字音「オ」意読「どて」、意味は土手、水流を塞き止める小さな堤とある。
ホタルの演舞場じゃないか、
山の端が切れ田んぼに水が出てくる際<きわ>、傾斜のある地形から水平に切り替る田んぼの端、田んぼの奥まったところの薮付近をホタルは飛んでいた。
そこは「塢」そのものであった。
おいにの「お」=「塢」でよいとして、「い」はどうなる?「に」は?となると、はたと困った、、、
「に」は、広辞苑によれば、動作のあるまたはその及ぶ所・方角・状況・背景や時点、それに変化の結果を示す助詞とあるからパスかな?
問題は、「い」である、17文字で表す世界最小文字数の定型詩が俳句だそうだが、依然にも断りをしたようにこれは句ではないので、その点は気楽なものだ。
以下は「い」についての、言訳か?言い逃れのようなもの、、、
我が少年時代のホタルは騒がれる対象でなく、格別話題になりえない大根か馬の足であった。
蛍雪時代なる言葉があるように、貧乏であることと名乗るべき成果を持たない馬の骨に付いてくる文句のような存在だった。
この千年か五百年、この国の農村風景は、全く水田だ。貧しい農業時代は、農具はあっても農機具ではなく、ましてお金を出して化学肥料や農薬を購入することもなかった。つまり、農民が貧しい時代、どこにでもホタルはいたから、誰も騒がなかった。
浴衣を着て、近所の子達とホタルを見に行った記憶はある。
近くの山から水が流れ出す「沢」なるものは、どこにでもあった。チャンバラごっこで駆回る眼の前の丘のあっちにもこっちにも沢はあり、沢水が流れる所にはホタルは当たり前のようにいた。
蛇足だが、遊びの途中、喉を潤すために、ある民家のすぐ裏手を流れる沢に口をつけようとしたら、その家刀自にどやされ、逃げ帰ったことがあった、子ども心に理不尽に思ったものだ、後日その背景が判り謎は解消した、密造酒取締が厳しかったあの時代、上に政策あれば下に対策ありで、沢の誉れは沢のあたりに隠した瓶の中で醸されていたようだ、家刀自はカミさんだから、近寄らぬカミに祟り無しで、二度と近寄らなかった。
さて、あれから55年も過ぎ、現代の農家は貧しさとは無縁だ、化学肥料や農薬、それに名と実の乖離が著るしい「除草剤」などをノウキョウカレンダーどおりにばんばん振りまく。
いずれも人体をも含めて生きとし生けるものに害毒であるから、ホタルも人間国宝級役者の朱鷺も駆逐された。
本来の自然を失い、健全な穀倉地としての資格を欠くようになった農地は、不動産として用途を多様化されることとなった。
事実、ホタルの次に追い出されたのは、農民であった。追い出した力は何か?不動産の持つ威力=そう、「い」のちからと読める、、、おアトがよろしいようで