閑人耄語抄No.49

*No.49  雨ウツギ  身にしむ寒気  うつ気分
〔自註〕 ウツギの花が咲いている、今日は氷雨に打たれたなあと回顧している。時季外れの文字使いだが、実感において氷雨を連想する寒さであった。雨にウツギと言うのもミスマッチだと思うが、実景だからやむを得ない。
場所は、富山県立山町は布橋(ぬのばし)の奥だから、仏教での彼岸の地、聖心界とか、霊界?冥界ということになろう。ある研究グループの研修旅行に参加したのだが、ここに来て格別イワシのアタマに帰依しようと考えたことはない。
ウツギは空木と書く、茎が空洞らしい。卯の花とも言う、そう発想的に明るい花だと言えよう。万葉集でも、奥の細道でも、そのような扱いだし、折口信夫に至っては、豊作を予兆する花だと指摘していたように記憶するから、ダーティーイメージからはむしろ遠い。
筆者の体験でもそうだ。長野県上田市に「ともし火博物館」がある、縄文火起こし体験コーナーで、ウツギと杉板をこすり合わせた記憶からも、暖かいか暑いかに繋がる。
今日味わったギャップの大きさには、我ながらショックだ。今年はにわか百姓ならずとも、冷害に備える必要があるかもしれない。
富山の民俗芸能に、越中おわら風の盆がある。金沢の東茶屋とも縁のある盆踊りだが、「越中立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ・・・・」との詞がある。ここの三国は唐・天竺・扶桑の三つを言うから、中世以前の全世界、南から紅毛人や南蛮人がやって来る前の時代におけるこの国の住人が想い描く全宇宙を意味する、但し、文学的誇張であるとも考えられるが、、、
そしてまた、この三つの山を日本の三霊山と言うらしい。その知名度、浸透度がどの程度であったか調べようもないが、本州では長野、本州以外の列島三島からブーイングが挙りそうではある。
三山のうちの三分の二が北陸地方、しかも幕藩時代の加賀藩領内に集中することからして、その出処、成立事情は概ね推測できよう。
なんせ、江戸時代は、明治政変後の現代よりも民度の高い時代であった、と確言すると誤解であるとの指摘やら、反論がかまびすしいであろうか?地域主権の進度において現代を凌いでいたことは動かない事実だ、各藩は地域特産物の発掘、販売促進に躍起であった。
さすれば、越中おわら節のこのフレーズは、立山権現白山神社共催、加賀藩公認のコマーシャルソングであったのだ。『タイアップの歌謡史』の冒頭を飾るに相応しいテーマであると考えたい。ただ、江戸時代に歌謡なるコトバは未だ無かったかも知れないので、そこは何とも言えない。

タイアップの歌謡史 (新書y)

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更に遡れば、立山はこの国における地獄の一丁目だと言う。最も歴史が古い最老舗として並ぶものなき地獄本舗?らしい。
今昔物語集/巻第17/語第27(岩波古典体系では第3巻所収)に出てくるから、宗教活動コマーシャル・ノベルの走りとも言えよう。娘道成寺勧進帳よりも更に古いことは確実だ。
さて、そろそろ筆を置きたい、
この国には108つの活火山があると言う。火山高温地熱ゾーン、一木一草も無い、禿げ山の、噴煙、マッドポットの光景が、地獄のイメージとしたら、別府から阿蘇山系、磐梯吾妻、有珠山などなど、各地にありそうだ。
だがしかし、当時の人口密集地の京、奈良、大坂、神戸から最も近い地獄として、立山は地の利もあって知名度は抜群であったかも、、、
となると、この三山の中では、時代を通じていつも白山が出遅れていた。
コマーシャルソングとしての狙いは、藩庁所在地の金沢に最も近い白山の知名度向上にこそあった。先行する二つの有名山に並びたいと、、、
三代藩主前田利常は、召し上げられた領地を取戻すことを強く望んでいたのかも?
越中おわら節のゴーストライターだったか?  隠れた仕掛人だったかも、、、