閑人耄語抄No.46

*No.46  しろ白馬  外山春色  棚田うみ
〔自註〕 実景の描写ではあるが、文字を羅列しただけだから、、、禿げ隠しに何か語るべし。とまあ、のっけから蛇足気味である。
五月中日の前後2〜3日は、四阿山(あずまやさん)に霧氷着雪があるのを麓の菅平高原から仰いだし、十の原(とうのはら)では、夜更けの戸外で懐中電灯の光の中の微雨ドリップがダイヤモンドダスト状態であったし、その翌朝も車内から踏み出した足の下から霜柱の音が聞えた。
さてここまで書いてきて、誤解されないための断りが要るんでは、、、寒さに耐えて自然観察に励んでいる訳では決してない、ただ、内なる宇宙の切なる願いに応えている時の、予期せざるしかも動機不純の体験的発見報告でしかないのだ。定住施設を持たない「ミノムシ、やどかり生活者」は、体外に排出せざるを得ない状況では、やむを得ずカムチャッカ方式に従うのだ。国立だったか国定だったかの公園内に、体温相当の熱を持ち、人体由来であるが故に富栄養で、ほとばしりの語音に通ずる勢いを備えた液体物質を残すことは大いに慎むべきなのだが、人体宇宙の内と外とを両立させがたい場合は、真により切羽詰まった方を進むしかないのである。
さて、白馬山は、その文字の中に白を含む。にもかかわらずその前にまた「しろ」を付けた。これは前段で、寒かった日々のことを長々と述べているように、我が仰ぎ見る直前まで おそらく新雪が降ったであろうことを示したいがためである。
外山(とやま)は春、棚田を囲む眼の前の山はもう春の色。
春早い樹々の色は、なんとも表しようがない。間違いなく存在する色は赤だ。一色ではない、淡いかすかな緑に近い色もほんの僅か含んでいる。はるいろというしかない。人でも、魚でも、生まれてすぐは皆赤ちゃんと呼ぶのに相応しいが、樹々も似たようなものだ。
眼の前は、青鬼(あおに)の棚田だ。時まさに水を張り、人が入って泥をならしている。長柄を持って海の中をかき回している。
土曜日だから、カメラマンがちらほら。通りかかった地元の老婆が言う、山なんぞ見でたら仕事になんねぇ
鬼無里、青鬼、信越国境は「鬼」が多く住んでいたのだろうか