閑人耄語抄No.45

*No.45 時々に  見まがうことよ  花みずき
〔自註〕 5月の初旬は、昔から風薫る時候だ。春の暮れなずむ宵に慣れる頃には、安定して南風が吹くようになる。寒さを忘れ始める頃だが、農業に関与する者は、まだ霜を忘れないように務める。生き物はリセットボタンを押して、また一から始めるということが無いからだ。
この時期心待ちにするもの、それはカッコウである。どの地域でも。ほぼ決まった日に、決った枝に停まって、しばらく鳴く。どこからか渡って来るのであろう。カッコウの声を聞いたらもう霜は来ないとされる。
花、鳥、木は農事暦である、雪、風、雨、山もそうだ。
農事暦では庄内平野から見上げる鳥海山の種蒔き爺さんが特に有名だ。
農事暦は、天文暦と異なる農業生産者固有の、地域に根ざした経験則に裏打ちされた存在だ。農業者は年ごとに早まったり遅くなる気象の変化を日々体感するが、眼に見えて説得性のあるエヴィデンスを求める。
白馬とか、駒ヶ岳とかの名で呼ばれる山は、この国にどのくらいあるだろうか?おそらく両手両足の指の数を超えるであろう、いずれもその土地の農事暦を担う景色だ。
桜の花もまた、最も強力で頼れる農事暦の一つである。サクラの花の頼りがいは、一本の木についた花が一斉に花開き、そしてすみやかに散り始めることにある。枝ごとにバラバラに咲いたり散ったりでは、判読に迷って困ることになる。
種蒔き爺さんがアナログであるのに対して、サクラはよりタイトなディジタル指標だ。もちろんそれぞれに長短があるが、、、
さて、花みずきは、桜ほどの自己顕示欲を持ち合わせない。だが、しかし、ある日、それは経験では、桜が終わってツツジが始まる少し前の頃、出番となる。花みずきもまた、こんなところに咲き遅れの桜があったっけ、と思わせるほど見事な開花の集中と集積である。
以下は蛇足である。
桜の項で、木一本の全花が一斉に開花と書いた、桜の種類までは言及しない。
ソメイヨシノは、木一本どころかその地区の見渡す限りの木全部が一斉に咲く。それはソメイヨシノがクローン植物であるかららしい。そのためソメイヨシノと表記しなかった、行過ぎた人為は、生物多様性の観点からも見直すべき時期にあるのではないか