No.41 雪の峰  遠山ざくら  昼餉とす

[自註] この寒い4月も今日で終わり。
先週は結果的に最上川フィールドワークウイークとなった。河口まで500キロの片道行程だから往復に週の半分を費やす。非効率と想うが、テーマを最上川オンリーに絞れないから居続けも出来ない。昨年から始め、フィールドワークを原則としているので、行き来はこれからも続くことになろう。
そこで日本海沿岸高速道路の全通を期することになるが、新潟以北がターンパイク方式で無い(=つまり片側一車線、対面通行のこと)変則「こうそく」道路になることは、遠い将来に亘って確定的のようで不安だ。対面通行の区画された道路を〔高速道路〕と書く事は出来ない。
刑務所内移動路とでも言おう。
ここで笑わない人のために、いささか回りくどい説明をしよう、、、
「こうそくどうろ」は、変換ミスを見逃すと?「拘束」と書かれる。則ち刑務所だ、もちろん体験では無い。
不自由がもたらすストレス→自死に限りなく接近している場所だろう、そこには死刑囚も拘禁されている。
拘束の字面は、区画された対面通行の道路と限りなく近い。
対面通行は一般道路にもあるじゃないか、同じだと言わないでもらいたい。一般道路はいつでも脇道に逃避できるが、区画された「拘束」道路は脇道が無い。
脇道との行き来を締出すために区画する、その仕掛を構築しただけでカネを盗る、こりゃあ『姑息』(=こうそくから”う”を盗った)道路だ。
一応規制速度を遵守して走るようにしているが、後続車が数字を読まない輩ばかりで、密着追従されることが多く、メタボ体形ではないが、慢性的メタボデータ保持者になっている。
さて、最上川だが、「一つの県」から流れ出して海に注ぐことで有名な「大河」だ。
この場合、鍵括弧「」の中が肝要なのだ。北海道は大小係わらずすべての河川がそうなっており、有名どころか話題にすらなり得ない。
最上川は、河川長・流域面積のいずれも一桁ランキングの大河である。
序でながら蛇足を、一つの県から流れ出して海に注ぐ小河川は無数にあるし、大小に係わらず全ての河川が、北海道のように一つの行政区域の中にあるのが、本来あるべき当然の姿と考えたい。
140年前の明治政変による都府県割りがあまりに狭過ぎたのだ。
その自治区割は、河川の持つ意義を無視するか極端に軽視して行われた感じがする。思慮乏しいまま、西洋の真似に猛進しただけのお祭り騒ぎに終始し、原則を築かなかったようだ。とかく無原則の下では、政と官が出鱈目にかき回す、原則の無い所には混乱のみあって安定は乏しい。そのツケは現代が負っている。
事の始まりにまず原則を設けよは、経済学の要諦である、経済学は常識の学問に尽きている。言葉の由来は、経世済民<けいせいさいみん、または世を立て民を救うと読む。因みに経は織物の縦糸のことであり、経は計なり>だが、仮に平成改革を考えるとして、道州制の区割や選挙区割なども、原則を定めた後に現実の線引に移るべきであって、明治政変の無原則を補うことに意味がある。
因みに、明治政変以前の国割り<注=幕藩体制の大名配置のことではない>は、律令制に拠っている。律令の建国原則は、人口基準にあったようだ。律令制導入当時、河川は物資流通の主役ではあったが、自給自足に立つ経済の時代であり、物流の規模が明治とは比較にならないほど小さかった。よって人口基準に立った律令体制は、相応の視点であったと言えよう。
蛇足の蛇足だが、貨幣経済に移行した後の明治の物流は、既に大規模化し、しかも河川に大きく依存していた。
にもかかわらず、鉄道建設なる技術導入に大きく舵を切った。そのツケもまた現代が負っている。先進国中稀に見る高コスト経済というツケだが、これ以上論ずる事が本稿の主題ではないので、そろそろ筆を置く体勢に移ろう。
さて、句の成り立ちを述べる。最上川の河口に酒田があるが、筆者が古くからの友人である朱鷺先杖(=ときせんじょう)宅に立寄った際に、思いがけず弁当を賜わった。その弁当を新潟県最北の山北町の付近で開いた。その時の感謝の想いが、そのまま口に出た句である。
前途500キロのマイカー走行を思うと、自前の食糧携行は実に有難い。ここでロードサイドのドライブインや「こうそく」道のサービスエリアでの食事を憶い出してもらいたい。まさに拘束の範疇ですらある。
この日は自由度の高い昼食ができた。ドライバーの意向で、時と所をほしいままに決めた。四方が山であったが、眼の前に二つの山を置いた、ほぼ同じ高さだ。遠目だが左の峰は中腹まで白い、時期的には残雪、この季はいつまでも寒い。
右の山は、不思議に白いものがまったくない、ほぼ木で覆われている、中腹に一本だけ明るい色の木が立つ、ヤマザクラが咲いているのかも、、、周囲はほぼ緑色だから、その淡い桃色が際立つ。
偶然に道路と平行して駐車したから、この二つの並んで立つ山、互いの季節感が妙に異なる景色に出逢った。五感が働らく時間は短かい、前途は、350キロはありそうだぞ、、、、