No.40  出羽ではと  そば屋餅つき  長口上


[自註] この度最上川中流域を訪れた。明治政変後の行政区分では山形県の腹部に当る。それ以前の律令体制では、出羽の国である。
さて、「出羽」の発音と意味である。
この言わば、些細か、どうでも良さそうなことが、筆者にとっては重いので、バイパスの高みからごちゃごちゃした郊外風景を見下ろす気分で、軽やかにドライブを続けてもらいたい。
発音は、『デワ』または「いでは」であろう。意味は、最も新しく内地になった地域の意であろう。「出羽」は国名として最後に設けられたことは歴史記録からほぼ明らかであり、そのことは則ち最後までヤマト政権の支配に従わなかった者達が住んでいたことを意味する。
過ぎた時代のことを回顧し検証するに際して、現代は文献記録に加えて考古学による発掘の成果を踏まえることができる。最後に打倒され服属させられた地域には、あらゆる人間の悪業がしわ寄せされて集中的に残っていることが多い。
都から距離的に遠い地は情報捏造(ねつぞう)がたやすいし、都人は遠い土地のことをすぐに忘れるものだ。
野心のある軍人が軍事的成功を誇大報告し、政治的な演出を組上げる舞台にふさわしい、便乗用土地なのだろうか?
前者の例は、安倍比羅夫や坂上田村麻呂の活躍に当るが、史料における軍政と民政との内容の差異。時期と空間とで双方の軸が噛み合わないばかりか、そもそもそのような軍事的実態が乏しい場合もありそうだ。
後者の例は、平城京での大仏造営という古代史最大のイヴェントに遠い陸奥が関与することである。大仏着工のきっかけとなった大量の産金と献上だが、その比定地を訪れた素人である筆者の眼に、見渡す限り黄金が産出しそうな風景はうつらなかった。
ことほどさように、文献記録と発掘が示す大地の記録とが噛合わない空間域が東北地方である。その中でも出羽は、最後に開かれたフロンティアであるから、尚更そうであろうか?
もちろん歴史記録としては、文献に拠らないもう一つのフロンティアがある。
その地に伝わる「むかしばなし」である。
民間伝承、民俗学とも言う。大地に直接働きかけて代々生業を維持して来た大衆の伝える歴史資料である。
上に政策あれば、下に対策あり、とか言う。歴史的検証は、双方の記憶が重なった時に始めて達成されたと言えるであろう。
出羽の建国は、主に陸奥と越後の地先から「いでは」として切出し、切離すことで、律令上の建国基準をクリアーした。これは行政上のことだ。しかし国の成立には、実体が必要である。具体的な中身としての住民と税収だ。住民は、おそらく隣接する地域、現在の北陸や関東の地方から、屯田兵のように移動させてつじつまをあわせたことであろう。
つじつま合わせは、多くの無理と無駄を積重ねるものだ。
万葉集に残る東歌(あずまうた)は、通説とされる採集ゾーンが修正されるべきであるし、東国(とうごく=古代史の地域名、東山道東海道を指すか?主として都からの最遠地に当る今の関東地方とされる)から徴発(ちょうはつ)された防人(さきもり)の配属地もまた、西海道(さいかいどう=古代史の地域名、今の九州地方とされる)だけでなく、北の方に転送され、永久定着させられたかも知れない。
このところ民俗学が築きつつある東北学だが、その成果に大いに期待したい。千年以上の昔に積重なった無理と無駄、それは底辺に生きる大衆の怨念として伝承されやすい。かつてその地を舞台にしておおいに面目を失った考古学の失地を、今こそ東北学の成果をもって快復されんことを祈るばかりである。
まだやはり、出羽なる文字表記についてだが、文字は記号であるから、その成立を考えるべきだ。
その土地の先住民の発声をうつしたのか、文字を操る側が自ら感じたイメージを取込んだのか、その両方をうまく組合わせたのか、そのいずれでもないのか、、、、
これはこの国固有の伝統と共有する思潮とをベースにおいて検証すべきである。
それは要約するとこうだ、当初において文字を持たず、音声伝達の歴史時間が長く、しかも文字システムを外来文化として移住民とともに受入れたこと。この歴史経過から、文字づらに意味が伴う場合と伴わない場合とがあるのだ。
しかも、最近の国民的性状に「単元原則」がある。これはあらゆる事象に対して合議と併記とを排除して、ひたすら単一の結論を急ごうとする学会のあり方や、拙速成果主義、権威信仰主義、多義性否定を通じて導かれる単線的な唯一の結論に拘る現今の学界のありようを指す。しかも、このタコツボ狭域宇宙が纏め上げた単元原則で歪んだ「単線的唯一結論」は、既成の教育システムという強力な情報流通機構に載って流される。そして愚民的盲従を専らとする暗記則ち優秀と信ずる圧倒的多数を形づくる。
その意味で、多義性に刮目(かつもく)すべき契機となった三内丸山の発見はとても重要である。
さて、そろそろ筆を置くべきである。
古いことを知ること、そのことに格別の意味は無い。今を深く知り、新しい道を切開くために、古い事を抑えておくに過ぎない。東北地方は一般に低く見られがちだ。現勢の政治システムでは、中央から遠く、則ち辺境に当る地域だ。
高速道路や新幹線や航空路など社会インフラの整備は、もっとも遅れ、かつ整備のレベルも低い。
だが、そんなことは土建屋の関心ごとであって、市民レベルの主要な関心ではない。重要なことは、地域として永続的に自存できる個性があることであり、その個性を後代に引継ぐ仕組が確立していることである。
それが備わっていれば、社会インフラの整備率が上昇しても地域外に人口流出はない、特に若者層が流出しないことが大事だ。
そして他面で、それは観光客にとってもアトラクティブな特異な個性であるかもしれない。
旅とは、地域固有の衣食住に出逢うことでもある、朝ご飯に餅を搗いて食わせる旅館があり、昼はそば屋に行った。どちらも、長々と談義か説教か口上か、その区別は知らないが長々と話をした。
情報発信の力は、県民性であるかもしれない、内陸住民「おいたま人」の個性であるかもしれない。
否、桜を求めて来たであろう者に対して、開花が遅れていることを代行的に弁解したつもりであったかも?